四次元くずかご

自分のかたちを知るために、ことばを連ねてみたなにか

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 町を贖宥修道士が訪れたのは、来たるべき雪の季節に向け、誰もが口数少なく準備を始めていた頃だった。
 修道士は言う。「罪ある者を赦すため、私は訪れた。この町で罪ある者は名乗り出よ」
 住人200に満たない小さな町で、その修道士の言葉はたちまち皆の知るところとなった。

 最初の一週間、修道士の元を訪れた村人はいなかった。
 いや、ただ一人、宿屋の8歳になる倅が「よければうちに泊まってください」と伝えにきたが(宿屋の主人は直接対面するのを怖れたらしい)、修道士はそれを拒否した。
 修道士は町の中央にある大聖堂ではなく、北のはずれにある教会、と言っても礼拝堂に毛が生えたような小さな建物を宿に定め、罪の告白を待った。

 8日目の午後、石工が教会の門を叩いた。
「私は2年前、石を完全な球体に削り出すことに熱中するあまり、娘がそばにいたことに気づかず、私の削った石の下敷きにして殺してしまいました」
それは町の人間なら誰もが知る悲劇で、ここ数年では最も衝撃的な事件であった。
「それは罪ではない。過失だろう。
 凡そ人として生を享けた者のうち、過失を犯したことのないもののみが、過失者を石もて打てばよい。」
 修道士はそれを罪と認めなかった。
 泣きながら語っていた石工は、罪でなかったことを喜ぶべきなのか赦されなかったことを悲しむべきなのか分からず、感情を持て余しながら家路に着いた。
 
 次に修道士を訪ねたのは、町一番の大店の旦那だった。
「私はある使用人を馘首にしてしまいました。能力の不足からでしたが、彼はそのあと自ら命を絶ってしまった。今思えば私はそれを予見することができたような気もするのです」
 これは石工の娘の悲劇とは違い、あまり真相を町の人々に知られていない事件だった。使用人の自殺は知られていたが、原因は女に振られたことだという噂だった。
「それは罪ではない。合理的判断というものだ。
 社会全体の利益を鑑み、生産性という観点から、より有益な者を登用するのは当然のことである。」
 修道士は罪を認めなかった。
 旦那は首を捻りながら家路に着いた。
 
 ある夜、女性が人目をしのんで教会を訪れた。
 修道士は昼間と同じように起きて書物を読んでいた。
「私は不貞をはたらいています。夫がありながら、別の男性と今もなお関係を持ち続けています。罪だとは分かっております。ただどうしても、彼を慕う気持ちを止めることができないのです。」
「それは罪ではない。不運というものだ。
 およそ自ら支配のできないような事が原因である事象に対して、人間が責を負おうとするのはむしろ傲慢である。」
 修道士は罪を認めなかった。
 女性は驚き悲しみ、3日後に首を吊った。
 
 それからもずっと、修道士は町の人々の罪を認めなかった。
「それは罪ではない。貴君は状況の被害者である。」
「それは罪ではない。環境が悲劇の真の理由である。」
「それは罪ではない。決定論的に予め定まっていた帰結である。」

 降雪は峠を越え、山菜が雪下から芽吹き始めた。
 町の代表者が修道士を訪れた。
「この町に、もう他に人はおりません」
「それは困った。罪を贖う事で人は救われる。罪なき者に救いは訪れない。
 この町の人間は、誰ひとり救われることなく、死とともに煉獄に赴くことになるだろう」
 
 修道士は立ち去り、やがて彼の予言は成就した