四次元くずかご

自分のかたちを知るために、ことばを連ねてみたなにか

僕の発心

 今回村にやってきた偉いお坊さんは、この前の人とはまったく違うことを説く人だった。
 大人はみんなそんなことは気にしていないみたいだ。ていうか、今までこの村にやってきたお坊さんたちの話を長い間ずっと覚えてるのは、僕くらいのものなのかもしれない。みんな聞いた直後はあんなに盛り上がるのに、だいたいは季節が変わると忘れてしまうみたいだ。
 前回の人のおしえはけっこう面白かった。一緒に呪文を唱えさせる系の、観衆参加型っていうのかな、そういうお説教(?)で、みんなお祭りみたいに盛り上がってた。でも、お坊さんがイケメンだったのも大きかったと僕はにらんでいる。女の人たちがいつもより参加してたし、結局お坊さんが旅立ってからも呪文会をやってたけど、もうひとつ盛り上がらなかった。
 そもそも呪文を楽しく唱えればたましいが救われますなんていう、そんなうまい話をたぶんみんな信じてはいなかった。だからって今回のお坊さんの、ちょっと辛気臭いおしえがみんなの心に響くとは思えない。僕は今までと毛色が違う感じが面白かったけど。
 大人はたぶんほとんどお坊さんの話を理解する気もなく、いつものもてなしモードに突入した。この村に偉いお坊さんが来るのはだいたい3年に一度くらい。大イベントなのだ。おしえが辛気臭かろうが難解だろうが、もてなすことが何より大切な目的で、偉いお坊さんを喜ばせればなんかいいことあるって単純に考えてるのだ。

 今回のお坊さんは1人で旅をしてるみたいで、僕はそんな人初めて見た。もてなされ慣れてない人で、村長たちや村の僧との最初の食事会はかなりギクシャクしてたみたいだ。せっかくのご馳走もけっこう余ったらしい。もったいない。
 僕はある日、所在なさげに河原にいたお坊さんに声をかけた。この前のお坊さんと違うおしえなんですねと何気なく言うと
「君のような幼い子だけが分かってくれるとは」
と、やたらと感心されてしまった。それから、僕のためにたぶんなるべく噛み砕いておしえを説いてくれた。今まで村に来たお坊さんとは、そもそもの根っこから違うおしえなんだと言う。
 でも、世界もうすぐ終わります系で、その後救い主が来る系で、僕らは基本何もできない系で、その辺は同じような気がすると素直に言うと、ちょっと嫌な顔をされてしまった。
「呪文はダメですか」
「ダメだね。間違ったおしえはむしろあなたがたを地獄に導いてしまうよ」
 あ、そうそう、地獄が熱い系痛い系怪物系なのも一緒だなと思ったけど、それは言わなかった。
「呪文のかわりに何をすればいいのですか」
 お坊さんはことさらに優しい顔をして僕の髪をなでて
「来たるべき日に備えて、今を懸命に生きるんだよ」
と言った。僕は、
「わかりました」
 まったく納得も理解もしていないけどそう言って会話を終わらせた。

 僕はとてもガッカリしていた。違うおしえを説いているようで、結局僕たちに求めることは同じ。それなら、ちょっとした世界観の違いなんて気にせず、他のおしえを「間違ったおしえ」なんて言わなきゃいいのに。
 僕らは弱くて無知で、出来ることはあまりなくて、でも「今を懸命に」生きるべき。そんなのってやる気が出なくないかなぁ。だいたいみんないつもそれなりに「懸命に」生きてるんじゃないだろうか。
 偉いお坊さんに僕らがばかに見えるのは仕方ないけど、もう少し具体的な指示をしてくれたり、魅力的な言葉で伝えてくれたりしないと、おしえなんてみんなすぐ忘れちゃうと思う。実際毎回そうなってるわけだけど。
 まぁ僕はいつもおしえのど真ん中というか、一番大事なところにはあまり興味がなくて、それを伝えるためのたとえ話とかが好きなだけだ。その意味では今回のお坊さんは面白かったんだけど、もう話を聞きにいくことはないと思った。

 でも、聡明な子供と勘違いされてしまったらしく、お坊さんの方が僕に懐いてしまい、ちょっと面倒なことになった。毎日のように家に来るし、それで同じ話ばっかりするし、新しいたとえ話も全然ないし、挙句に僕を旅に連れていきたいと言い出した。
 僕はめちゃくちゃ嫌だったけど両親は大歓迎で(なんかでっかい御利益があると信じてるのだ)、村長も推してくるし(ありがたやしか言わない)、友達と別れるのは寂しかったけど仕方ないかと着いていくことにした。
 この村にずっといてたまに偉いお坊さんを迎えながらおじいちゃんになるのと、ともかくこのお坊さんに着いていって他の場所を見て他の人に会うのと、どっちがいいだろうと僕なりに考えて決めたのだ。

 お坊さんは伊太郎という名前だった。
 村を出て最初の野宿をした場所で、村から持ってきた荷物を服以外全て燃やされた。村長がくれた村の宝だという経典や、僕が個人的に大切にしていた貝殻とかの宝物だ。なんでそんなことするのかと悲しくなったが、伊太郎が言うには間違ったおしえは救い主の怒りを買うのだという。真のおしえ以外何物も信じてはいけないのだと。
「でも救い主さまは慈悲深い人だと聞きました」
 僕の単純な疑問に伊太郎は、長々とやたら仰々しい言葉で答えたけれど、残念ながら僕はまるで納得できなかった。疑問をもつこと自体を悪いことだと言われてしまうと、もう何も言えないので僕は理解したふりをして床についた。

 次の日、一人で河原に水をくみにきてみたら、同じように水をくんでる僕とたぶん同じくらいの年の子にあった。聞けば、何人かのお坊さんたちと一緒に修行をしているのだと言う。これから山に入って本格的な修行をするのだと言うので、頼み込んでついていった。
 伊太郎が追ってこなかったのか見つけられなかったのかはわからないけど、僕はその修行するお坊さんの組に入れてもらうことができた。一番偉いお坊さんは堅忍さんと呼ばれていて、とても体が分厚くて頑丈そうで、最初はちょっと怖かったけどとてもいい人で、どこから来たとかも聞かずに仲間にいれてくれた。
 水くみの子は僕の一つ下の年で、菊丸といった。でも僕のほうがこの中では後から入った人間だから、僕は彼の言うことは全部聞いていろんな下働きもした。それもあって、みんなも僕をすぐに受け入れてくれた。

 山での修行は楽しかった。岩場を一生懸命に登るのはハラハラしたし、菊丸と競い合うのも張り合いがあったし、単純に疲れ切るまで体を動かすのが気持ちよかった。
 たぶん十日ほど山を修行しながら移動してある村に着いた。少し前から、ずっと不思議な音が鳴り続けている。皆はそれを気にしていないようで、菊丸に訊いてみると「なみ」の音だという。聞いたことがあると思ってると堅忍さんが話し出した。
 これから海沿いの岩場を修行場にするが、危険なので菊丸と僕をこの村に預けていくと言う。
 そう、海! 思い出した。見渡す限り水があるとかいうとこで、さっき菊丸が言ってた波が、風がなくてもずっと立ってるらしい。
 それは見たいし、そもそも修行できずに置いていかれるのは嫌だ。
 お前たちのためだけじゃなく、お前たちがいることで私たちもより危険になるからだと諭されるけど「より危険になるなら皆さまもより功徳を積めるはずですし、私ももっと功徳を積みたい」と言い張って、堅忍さんが折れた。

 菊丸は海での修行に行きたかったんだろうか。もしかしたら村で待っていたかったのかもしれない。でも僕が行くことになって、ついてこざるを得なくなったのか。だとしたら申し訳ないなと思う。
 急な下り坂の獣道をたどると、いよいよ波の音は大きくなり、突如目の前が開けて空と水の二つだけになった。足元は崖。はるか下に見える水が、視線を上げると空との境界まで繋がっている。
 これが海か。確かに波が休まずずうっと立っている。覗き込むと吸い込まれそうで「気をつけろ、落ちるなよ」といつになく真剣な声で注意された。
 崖を沿うように歩く。道幅は大人の足の横幅分くらいしかない。つまりほとんど綱渡りみたいにして、みんなで連なって歩く。
 そして菊丸が落ちた。僕は後ろにいたお坊さんに目を塞がれて最期は見えなかったけど、遠ざかっていくあの声だけは一生忘れられずに今でも頭の中に響いている。

 岩場にうがたれた穴に一人ずつ入って座り、起きてる間中呪文を唱え続ける。他のお坊さんたちは寝ずに唱えていたと思う。これがもともと行うつもりだった修行なのか、菊丸のための何かだったのかはわからないけど、僕にはどちらでもよかった。
 僕は初めて呪文を唱えることには何かの意味があるのかもしれないと思った。菊丸のためというよりも、自分のためになる何か。

 厳しかった岩場での修行が終わって僕たちは村に戻った。
 堅忍さんがよくついてきたと褒めてくれたけど、僕はずっと思っていたことを話した。
「菊丸が死んだのは僕のせいです」
 堅忍さんは優しく「それは違う」と説明してくれたが、僕が行くと言わなかったら菊丸はついてこなかったという事実は変えられないと思う。だからずっと納得できずにいると、堅忍さんが「悲しいか」と訊くのでもちろん頷く。
「それが執着だ。捨てなくてはならない」
 僕が執着を捨てないと、菊丸もこの世への執着が捨てられなくなり、結果として亡霊みたくなったりするという。だからきちんと供養をしよう、と。

 生まれた村に来たお坊さんの中にも、同じおしえを説く人は何人かいた。
 でも僕はその度に不思議な気持ちがしたのだ。何かに執着せずに、あんなに熱心にひとにおしえを説けるものだろうかと。

 菊丸の供養が始まった。僕は彼と遊んだり喧嘩したりしたこととか、大人のお坊さんたちには今でも秘密にしてるあれとか、彼の夜の寝相とか、そんなことをたくさんたくさん思い出して、これは絶対に忘れられそうにない、それだと菊丸が悪霊になってしまうと思って混乱し、その場を飛び出してしまった。
 僕は執着を捨てられない。泣きながらそう言う僕に、供養を終えた堅忍さんは優しく接してくれたが、僕は納得ができなかった。僕も死んだら菊丸は天国へ行けますかと言うと堅忍さんは怒って自ら命を捨てることは絶対に許されない、と言う。
「今を懸命に」「執着を捨てて」「自死はしない」
 やっぱり、だいたいみんな同じなのだ。

 僕は、ずうっと思っていたことを伝えた。
「僕は執着を捨てたら、命も捨ててしまうと思います。というか、僕のような人たちはみんなそうだと思います。執着があるから、生きていられたんです。なければこんな世の中、一刻も早く立ち去りたいです。偉い人は偉いからわからないかもしれませんが、偉くない僕らにとってはこの世の中は掃き溜めみたいなところで、たましいを僕の体に繋ぎ止めていてくれるのは執着だけなんです」
 堅忍さんだけでなくお坊さんたちが集まってきていた。僕は思っていたことがまるでうまく言えなかったことが歯がゆくて悔しくて、ずっと下を見て泣いていた。みんなは何か難しい話をしていた。

 そうじゃないんだ。難しい話が最初にあって、それを簡単にした時のわかりやすさ、なんて僕らにとって何の意味もないんだ。
 難しい話なんか共有できないし、あってもなくても僕らにとってはおんなじだ。
最初から簡単な話をしてほしい。この世は簡単なかたちなんだと示してほしい。
 そうじゃないなら、こんなこと、何の意味があるんだろう。
 いつのまにかできあがっていた菊丸の供養塔を見ながら、そう思った。

 

 

inspired by 『死してなお踊れ: 一遍上人伝』(栗原 康 著)