四次元くずかご

自分のかたちを知るために、ことばを連ねてみたなにか

転送(1)

 まただ。
 またフランス人だ。 クリスマス週間直前でごった返す、帰還用ターミナル2階。シミズの乗るはずだった便だけが理由も無く「欠航」となっている。モニターは数ヶ国語でMF402便の状況を伝えるが、意味は全て同じ「お前らは今日は地球に帰れない」。
 どうせまたストだろ。だからフランスの会社は選びたくなかったんだ。あいつらは自分の権利を主張し続ける事が近代的な態度であるとはき違えている自由乞食だ。 シミズは自分と同じ様に恨めしげにロビーのモニターを見つめる人達の横顔を見つめ、一人と目が合うが、今生まれているシンパシーが状況を何ら改善しないことを悟り、曖昧な笑顔でそこから去る。
 今日、月から帰還できる便は他に3本。手元の端末で調べるまでも無く、既に満席だ。リアルタイム案内の「キャンセル待ち」がどんどん増えていくのが笑える。キャンセルするものなど、いない。今日ここで突如命でも落とさない限りは。 しかし、クリスマスに家族で暮らすことなど、どうでもいいじゃないか。こっちは一生に一度の事なんだ。今日帰らないとマズい奴ランキングで、このターミナルで俺は確実に上位に入る。揃いも揃ってくだらねぇ土産なんか買って、そもそもお前ら何しに来たんだ。ただの観光の奴らなんかは俺に席を譲るべきなんだ。こっちは来たくもないのに仕事でしょうがなく月くんだりまで来てやってる身分なんだぞ。 別の地球行き便の発射場所に向かうシャトルのドアに吸い込まれていく幸せそうな客達を呪いながら、シミズはふと、金勘定を始める。

 ’30年代に開発された物質転送機は、この世界の流通に革命を起こすと言われていた。物質の構成要素をスキャンし、情報化し、送信し、再構成する。誰しもが世界のあらゆる隔たりの急激な縮小を疑わなかったが、実際には物質の転送先(アウトプット)の装置が大掛かりになりすぎ、転送機は実用化に至らなかった。
 しかし2年前、転送物を「人間」に限ることで、転送先の再構成システムを簡略化する画期的な装置が開発された。人体の構成要素が限定されていることと、構成パターンも似通っていることが実現可能にした技術だという。 衛星までをも行動範囲に取り込んでいた人類は、この発明に飛びついた。

 「重力豚のフィレステーキ」は選択ミスだった。地球にいるときと同じ感覚で、メニューの字面から実物を想像して注文すると、だいたい失敗する。何故俺は同じ失敗を繰り返すのかとシミズは自問しながら、地球と同じ重力設定下で育てられたことになっているという、月育ちの豚の後足肉の臭くてしつこい脂分についにギブアップした。
 恐らく脚が萎えてしまっていて、ろくな運動もしていないであろう養殖豚の、頼りない筋繊維の合間にビッシリと詰められた脂が皿に流れ出し、冷えてどんどん固形化していく。
 恒常的に食料が不足する月にあって、食事を残すというのは非常に珍しい行為だから、給仕係の人間もシミズの体調を心配する質問をしてくる。口に合わないなどと言って、グルメ気取りかと軽蔑されるのも嫌なので、シミズは話を合わせて気分が悪いことにする。 さげられていく皿を見て、確かにもったいないが、今から俺がしようとしている浪費に比べたら大した事はないと、シミズは自分に言い聞かせる。

 転送装置の使用コストは、月-地球間の1等往復正規運賃の30倍ほどと、高額に設定されている。 しかも、転送といっても、申し込んですぐに地球に飛んでいけるわけではない。順番待ちもあるし、申し込み完了後も審査で結構な時間待たされた後に、医学的検査→本人同定及び入国審査→一次スキャン→転送先受け入れ態勢確認→二次スキャン→体調の最終確認→本スキャン、という長い道のりを経て、やっと転送に至る。この間、平均で19時間かかるという。38万キロの距離を宇宙船に乗って帰るのと、ほとんど変わらない。
 しかし、それでも、転送装置を使う人達は絶えず存在する。

 「これより先は、付人・介添人の方々はご遠慮願います」の指示通り、SPらしき者達が一次スキャン待合室から出て行かされる。残された政治家だかなんだかの親爺の他には、ラフな格好がいかにも過ぎる月ベース系新興企業のビジネスマン(だろう、たぶん)、どこかで見た気がする女性歌手、そしてシミズ。その4人が長い審査を終え、実際の転送工程に入ったことになる。申し込み時よりも人数が明らかに減っているのは、審査で落ちることがあるのか、途中で見合わない金額を支払おうとしていると冷静に気づいた奴がいるのか。
 財力という点では4人の中でダントツに劣るであろうと、シミズは自嘲するでもなく、冷静に分析した。これは普通の勤め人である俺には明らかな浪費だ。
 妻は怒るだろうか。いや、呆れるだけか。シミズは予定日より早く入院することになった、連れ添って5年の妻のことを思う。  人間転送は、コストが高いだけではない。そもそも審査が厳しすぎるし、審査に落ちる理由も明示されない。また、長い検査・審査・待ち時間の間、非人間的な扱いを受けることもしばしばだと、体験者が書き込む掲示板には記されている。曰く「自分を荷物扱いにして箱に詰めて送ったほうが楽だし安かったのではないか」。
・流れ作業的な工程の中で、座ることも、ましてや眠ることなど許されなかった。
・スキャン中は全身の表面に、強い嫌悪感が終始まとわりつく感覚があった。その感覚は今でもはっきりと蘇ることがある。
・転送後、体内の一部を置いてきてしまったような喪失感に悩まされる。
・転送後に持病が完治した。
・なんらかの記憶を失った気がする。
など、掲示板には匿名の真偽の判然としない書き込みが溢れている。
 所詮は無責任な匿名の書き込みだ。或いは、こういった書き込みも一定の淘汰が為された後にこうして俺の目に入ってきたわけだし。或いは、転送事業者が何らかのリアクションを見せていない時点で取るに足らない噂話ということかも。或いは、しかし。
 などと、二次スキャン前までは手元に持っていられた端末から得た人間転送の負の情報に、少なからず不安を増幅させていたシミズだったが、端末を取り上げられてからは不安も不自由も特に感じることなく、スムーズに本スキャンにたどり着く。
 ただ一つだけ、最初の待合室以降は単独での行動を強いられていたシミズは、生身の人と全く会わないことに、居心地の悪さは感じていた。スキャンなども音声案内に従って、装置の中で行動するだけだし、各工程の間の待ち時間も、居心地は悪くない部屋だが、完全に孤独な軟禁状態を強いられる。
 だから、本スキャンの装置に入る前に、係員の姿を見つけた時は、シミズの頬は思わず緩んだかもしれない。
 スキャンは数段階に分けて行われるが、実際の転送で使用するデータは、最終の本スキャンのみで採取される。 装置は直径5メートルほどの完全な球状で、被スキャン物はその中に入る。入ると同時に触媒液が装置を満たしていくわけだが、そうなると当然中の人間は呼吸ができなくなる。しかしスキャンは内部が満たされてから約15秒後、対象物の鼻と口を液体が塞いでから25秒以内には終了する。その後速やかに液体は排出されるので、問題はない、という話になっている。
 「先に預けた荷物は別送。あとで届く。服は全て脱ぐ。最後まで身につけていた服などは処分する。」 事務的と形容するにはぶっきらぼうすぎる、悪意すら感じるような係員の物言いに、シミズは動揺するが、たじろぎを悟らせると負けのように思え、敢えて軽口を叩く。
 「今日帰らないと、俺の遺伝子の半分をコピーしたヤツが、もう半分のコピー元から這いずり出てくる瞬間に立ち会えないもんでね。」
 照れ隠しを装って、もって回った言い方で期間を急ぐ理由を説明してみるシミズに、しかし係員は無表情と無言を貫く。
 肩をすくめる動作も虚しく、シミズは全裸になり、装置に向かう。装置は赤道部分で上下にパカリと分かれていて、脚立を使って装置下部に縁の部分から入っていく。 外側もそうだったが、内側から見てもシンプルなつくりで、ボタンや計器どころか、突起ひとつない。 何の前触れもなく、装置上部が降りてくる。何らかの感慨を感じようとするが、それらしいものが思いつかない。水平方向の光の線が細くなり、一瞬煌めいて消える。後は完全な闇。液体が足もとを濡らし始めるのを感じる。意外と粘性がある気がする。基本的に人間とそのテクノロジーを信頼しているが、どうしても恐怖を感じてしまう。無心になろうとする。昔観た前世紀の映画を思い出す。重厚な声で、死の瞬間までのカウントダウンをしていくラストシーン。

 技術的にはスキャンに時間をかける必要はない。
 特に生物の場合、その組成は一瞬ごとに変化しているから、寧ろ時間をかけてしまうと計測のブレが生じてしまう。
 ただ、人間の転送に関しては、非常に時間をかけてスキャンが行われる。
 間違いが起こらないように。
 じっくりと。
 十分な時間をかけて。

 数十秒ぶりに息を吸うより前に、外から光が差した気がする。酷い二度寝をしてしまったと起きて時計を見ると、実は5分と眠っていなかった時のような、曖昧な時間感覚とともに、いつの間にか閉じていた目を開く。 転送元の装置と同じ物に入っていることに気づく。 お椀の中のみそ汁の具のようになっているシミズは、泳いで装置の縁までたどり着く。 さっきと同じ脚立。 そして、同じ係員。 転送先が同じ形の装置である可能性はあった。しかし、係員も同じはずはない。 失敗したのか? この状況ではさすがにあの無愛想なヤツも、何らかの説明を施すに違いない。脚立を駈け降りたシミズは、まず嫌みの一つでもと口を開こうとした瞬間に、その胸を撃ち抜かれて死ぬ。

  ◆◆◆◆◆◆◆◆◆  (つづく)