四次元くずかご

自分のかたちを知るために、ことばを連ねてみたなにか

凍っていた言葉(下)

 最初はタクが得意のボケをかましているのかと思ったが、そういや奴とは一緒に酒を飲んだことはなかったなと気づいた。
 俺はタクのような学はないが、ここが酒の保管庫だということはわかる。他に何の趣味もない分、酒についてはカネをかけてきたから、目の前の樽に入ってるのがどういう酒だかも想像できるし、その価値だってわかる。
「お宝じゃない」と言うタクに思わず呆れてしまったが、こいつはそもそも酒を飲んだこともないのかもしれない。

 酒を飲む奴は珍しい。もっと効率的に精神状態をいじれるやり方がある以上、コスパが悪いというのはわかる。メシの中途に酒を飲むとより美味くなる、みたいな奴らも、俺が生きてるような世の中ではお目にかかれない。
 俺はバカだから、最初に飲んだ酒がなんかうめぇと思ってしまって、それからなんとなく飲み続けてる。日によって違う飲んだ後の酩酊具合も楽しんでいるし、酒仲間とあーだこーだと毎度おんなじような話をしてるのも嫌いじゃない。でも何より、俺はあの味が好きだ。
 俺がありつけるのはもちろん安酒で、雑な蒸留でアルコールを集めて作る奴だ。他人に話して共感を得られた試しがないんだが、毎度ちょっとずつ味や匂いが違って、それが面白い。
 山上地域で働いた時に一度だけ見た花ってやつの匂いに似てたり、女のつける紅みたいだったり、かと思うと朝飯のペーストに塗るシロップみたいな匂いだったり。俺はそういうなんだかよくわからない味や匂いを、毎回こっそり別の言葉で喩えてみるのが好きだ。その独り遊びが、俺が酒を飲む一番の理由かもしれない。
 俺が飲んできた酒が、灰の下に沈んだ昔の世界のそれとは全く違うものだってことくらいは知ってる。倉庫の扉を開けた瞬間の刺すような臭いも、今ここに漂っているいくつかの香りも、今まで嗅いできたものとは違う。でもこの樽に入っているのと同じ名前がついた酒を、俺はずっと愛してきた。命の水。
「タク、こりゃウイスキーだ」

 タクは手にした端末を使って一生懸命に何か調べている。
 この少々頭でっかちな男の計画に乗ったのは、ちょっとした気まぐれだった。図書館なんてあると俺は思ってないが、このご時世に沈んでる言葉をわざわざ引っ張り出してこようとしてるタクの熱を、俺はけっこう気に入ってしまった。あいつがカネ目当てだと言ってるのがポーズなのは丸わかりで、それもまた可愛らしい。
 俺を巻き込んで責任を感じてそうなタクのためにも、なんかの遺跡からそれなりの成果が見つかればいいなくらいに思ってたが、予想をはるかに超えるシロモノが出てきた。
「なるほど、この地域で特産品として作られていた蒸留酒なんか。ある程度揮発は進んでもうてるやろうけど、けっこう高く売れるんちゃうか。しかし、シオネ、これがウイスキーやってよう知ってたな」
 ちょっとしたドヤ顔だけでタクに返事をして、俺は近くの横に寝てる樽を観察する。上の方に5センチくらいの円形の穴が空いていた。木の栓で埋められていたが簡単に外れた。

 瞬間、幻に包まれた。
 踏みしめる足が少し沈みそうなほど湿った地面は、色味の地味な植物に覆われ、それが見渡す先までずっと続いている。海が近いのか、背後からは波の音がかなりデカく聞こえる。空は暗く、今にも降り出しそうだ。湿った土、潮と磯、雨の直前の匂い。
 遠くで植物が波打ち、その波紋が徐々に近づいてくる。風が吹いているのだ。風に吹かれた植物が鮮やかな緑色に変わっていく。花らしきものが咲いているところもある。爽やかで生っぽい草の匂い。
 地面がすっかり緑の絨毯に変わった時に風は俺に届く。甘やかで柔らかい風。さっきまでの陰鬱な景色に似合わない、温かで陽気な鼻をくすぐる匂い。
「原料はイネ科の植物だけやのに、こんなたくさんの香りがするもんなんか」
 タクの言葉で我に返る。
 そしてその言葉に、こいつと同じ体験を共有してることに、俺は素直に嬉しくなった。
「飲んでみようや」

 樽の穴から差し込んでウイスキーを掬い出す長い柄杓みたいなのを倉庫の隅で見つけ出した時は、二人とも大声を上げた。そういうのがあるはずだ、と言い張ったタクの情報検索能力と頭の良さに感謝だ。
 携帯水筒の蓋部分をコップ代わりにして、ようやく俺たちは命の水にありついた。酒自体が初めてだというタクに、ちょっとずつ飲むことだけをアドバイスして、気ぜわしく乾杯する。
 鼻で嗅いだだけの時よりも、たくさんの種類の幻が頭の中でぐるぐると回る。一瞬で現れては消えて、はっきりと掴むことができない映像。酔いとは違う。この酒が俺に伝えてくる膨大な量の言葉、いや、頭の悪い俺には言葉として感じ取れない複雑な調子や色合い、そんなのが駆け巡るのだ。
 美味いとか不味いとかよりも先に、その豊かさに圧倒されてしまう。
 タクはまず酒そのものに驚いているのか、ずっと下を向いている。酒の初体験がこれだというのがどれほど幸せなことなのかわからないだろ…
「3日前に食った、宿のばあさんが焼き焦がした失敗砂糖菓子の匂いや」
 突然顔を上げたタクが口にした言葉は、俺の頭の中を巡り続けていた幻の中のひとつの解像度をぐっと上げる。痒いところに手が届いたような、ずっと思い出せなかった名前にやっと辿りつけたような快感。
「それだ!」
 タクが笑う。俺はこいつと初めて本当の意味で繋がったような喜びを感じる。
「あとはな、えーと、他の匂いもすんねん。クルーザーの燃料をこぼした時の…」

 俺たちは他の樽にも手を出して、そんなふうに眠っていた酒をどんどん言葉にしていった。
 さすがにアルコールにやられた俺たちは、とりあえずクルーザーに戻って寝っ転がりながら、すっかり暗くなった空を眺める。
 図書館は見つかったな、というタクの言葉に、俺は心から同意した。

凍っていた言葉(上)

 旧国境を越えて海岸線沿いに北上し、目指す場所がやっと見えてきた。
 レンガ造りの倉庫は形を保ったまま斜めに突き刺さるようにして、地面を分厚く覆う灰の中に半ば沈んでいる。間口は幅5m強、奥行きの長さは全貌が見えないので分からないが、沈まず見えている部分だけでも20m以上はある。
 三角屋根も正面側の壁だけにある小さな窓も破損している様子はなく、サンドクルーザーを停めた僕とシオネは思わず歓声を上げる。
 底面だけ広く円形に延ばした靴、通称・砂蜘蛛に履き替えて、灰に埋もれてしまわないように慎重に倉庫に近づく。地面から浮いて宙に持ち上がった格好の正面部分は地面から3mほどの高さにあった。シオネが器用にカギ爪付きのロープを使って進入経路を確保する間、僕は手元の端末で倉庫の情報を検索する。
 やはり該当情報はない。ということは大更新前のものであることは間違いない。保存状態もいい。今回は期待がもてそうだ。
 シオネは既に地面を離れて倉庫の扉の前に到達していて、屋根から吊り下がったロープに体重を預けながら、
「開かねーけどレーザー使っていいのか」
とまた粗雑な提案をする。
「アカンに決まってるやろ。中のもんはえらい繊細なんやで」
 聞こえよがしに舌打ちして携帯カッターを取り出すシオネ。中のものが残っていればいいけど。僕はそう祈りながらシオネが木製の扉に穴を切り開くのを待つ。

 頭上から投げ捨てられた扉の一部を拾って確認する。全く腐敗が進んでいない。大更新後の凍結度が高い遺構だということだ。側面に全く窓がないというのも、太陽光にナイーブな物体が保管されていることを示唆していて、期待は高まる。
 もしここが噂に聞く「図書館」なら最高だ。旧代の言葉で、いわゆるアーカイブセンターのことを示すらしいが、サーバもディスクもなく視認可能な状態に出力されたデータの束を収納していたという。その出力物は植物性繊維で作られているとされ、大更新後に残っているものは未だ見つかっていない。
 大更新で全ての電子データは消滅したわけだから、つまり「図書館」という存在自体、大更新を跨いで生き延びた人間が口伝で遺した不確実な情報でしかない。ただの伝説と見る向きもある。
 ただ、僕たちのように一攫千金を狙った…
「クセぇ!」
 空けた入り口に顔を突っ込んだシオネが叫んだ。

 防護マスクは持ってきてないなと舌打ちしながら、
「どんな臭いや? ヤバかったら一旦降りぃ」
と訊くと、今度は
「うん? いや――いい、匂いだ」
などと言い出す。こっちに向けた顔がやや赤らんでいる。僕は不審に思いロープを登る準備を始めながら、手元の端末でシオネのバイタルを確認する。心拍数がやや上昇しているが危険域ではない。

 シオネは倉庫の正面の表側に50cmほど張り出した床に足場を確保して、扉の内側を覗き込む。
「灯りはまだアカンで」
と言う僕の言葉に、分かってると手の動きだけで答え、シオネは斜面になっている倉庫内部への侵入の準備を始める。僕はその間に彼に追いついて、彼を驚かした匂いを共有する。
 下からでは嗅げなかった香りがこんなに強く扉から漏れている、つまり空気より軽い気体、おそらくは揮発性の物質。ただ香気成分の要素が多すぎて特定が難しい。嗅ぎ取れるものだけでも優に10種は超える別種の香気がある。
 しかし間違いなく含まれるのはC2H5OH、エタノールだ。

 図書館ではなさそうだった。
 倉庫の中には直径1mほどの円筒形をした木製の容器らしきものが整然と並べられている。倉庫の長辺に沿って2列の通路ができていて、円筒の底面を通路側に向けるようにして容器の列が都合4列並び、それぞれの列に天井まで3層にわたって容器は積み上げられている。床がここまで傾いていても容器が奥の方に転がっていないのは、各容器がしっかりと金属製の什器に固定されているからだ。
「化学物質の倉庫やな。残念ながらお宝は無さそうや」
と言うと、シオネはどうしようもないバカを見るような目で僕を見て、一瞬何かを言おうとして口ごもる。

 

つづく

ライフ・イズ・ユージュアル

 屋根もないので駅舎というよりただのプラットホームと呼ぶべきこの場所は、普段は日に2本の列車が到着した時でさえも閑散としている。駅のすぐ裏手には夜間照明もあるちょっとしたサッカー場があり、観客席はメインスタンド以外にはないが、このホームがバックスタンドに当たる場所に位置していて、試合がある今夜は幅5mもないこの台の上に見物客がひしめいている。
 昼過ぎからごく淡く降り続けた雨が芝を濡らしていて、ルカはそれを吉兆だと捉えていた。西の森の奥からわき出す雨雲はまだ余勢がありそうだ。息子の出番を待ちながら、この田舎町には似つかわしくないほどよく整備された芝が、よりコンディションを悪くするのを祈る。
 ルカたち「見物客」はいわゆる観客ではない。試合の勝ち負けに何の興味もない。ただ自分の身内の選手が活躍するかどうか、それだけを見にきている。

 試合形式で行われているが、実際はセレクションだ。次のカテゴリのチームに上がれるかどうか、その結論が今夜出る。
 選手は指示に従って交替を繰り返す。移動距離はもちろん、心拍や呼吸数もリアルタイムで計測され、各々が無数のカメラに捉えられて動きの質を解析されている。単純にゴールを決めれば良いというわけではない。現に先程ゴールを決めた長身の選手は、ロッカールームに下がるように指示された。今日はもう出番がない、つまり今後サッカーを続けることはできないという通告だ。
 10歳から12歳のこのカテゴリでは選手の体格に大きな差がある。息子のミロシュは中でもとりわけサイズがない。その分重心が低く柔軟かつ俊敏で、ルカはこの雨によるフィールド状態の悪化が息子にとって好条件だと考えていた。
 実際ミロシュは欲目抜きに活躍しているように見えた。二度目の出場の時には勘のいいパスカットからサイドバックを上がらせて早めのクロスを上げさせ、囮としてディフェンダー2人を引きつけて味方にシュートを打たせ、そのこぼれ球にきっちり反応してゴールに押し込んだ。そして今、三度目の出場では完全に相手チームの左サイドのディフェンスを崩壊させている。
 ルカは思わず声を上げた。今までは攻撃の起点役に徹していたミロシュが、やや強引とも言えるドリブルでペナルティエリアに侵入する。持ち前の腰の強さで倒されないままボールを保持し、都合4人くらいのディフェンダーを抜いて角度のないところからシュート、
 と見えたがそれはパスだったのかもしれない。逆サイドから走り込んで来ていたフォワードの選手の足もとにピタリと合ったボールは、そのままゴールに吸い込まれた。今日ほとんど目立てていなかったそのフォワードの選手(確かミロシュの幼なじみだ)は大喜びしているが、ミロシュは冷静に自陣に戻っていく。
 これで1ゴール3アシスト、息子の合格を確信したルカが周囲の目も顧みず大げさなガッツポーズをとった瞬間、ミロシュにロッカールーム行きの指示が出た。

 雨は止んでいた。
 ルカは評価システムのなんらかのバグなのではないかと疑っていた。
 ルカたち見物人を除けば、このサッカー場に選手以外の人間はいない。せいぜい管理人とガードマンがいるかどうかだろう。
 選手の配置も交替の指示も、そして最終的な評価も全て人工知能が行う。
 この試合のパフォーマンスを中心に、長いシーズンを戦い抜く体力、ゲーム理解力、これからの伸び代、それらを膨大なデータに照らして総合的に解析し、ミロシュは上のカテゴリには不要な選手と判別された。
 端末でこの種のバグが起こり得るのかを調べていたルカに、着替え終えたミロシュが近づいてきて、帰ろう、とだけ言った。

「違う道を選ぶなら、早いに越したことはない」慰めの言葉ではあるが、ルカの本心だった。10代後半まで希望を持たされてからドロップアウトすると、第3種労働者になる以外の選択肢はほとんどなくなる。指導者という職業が人工知能にとって代わられてからは、プレーヤーがプレーする場所を失うことは、その競技自体と縁を切ることを意味するようになった。
 ミロシュは無表情のまま、黙って少し先の地面だけを見つめて歩いている。落胆も悲しみも悔しさもそこには読み取れず、ルカは何かを喋らなくてはと焦るが、何も言葉は出てこない。ミロシュのぶら下げるネットにしまわれたボールが規則的に揺れて、それを追って街灯に照らされた影が大袈裟に揺らめく。ミロシュがサッカー場からの帰りにボールを蹴らずに歩いているのを、ルカは初めて見たのではないかと思う。あのネットからボールが再び出されることはないかもしれないという想像はルカの心を締め付ける。
 まだ濡れた地面から冷気がのぼってくるように感じて、ルカは寒いかと尋ねる。ミロシュは無言で首を振る。そしてまた少し先の地面を見つめる。ルカはそんな息子を見ていられず、たまらず頭上に目をやる。月がない。牡牛座が東の空に見えた。この冬が終わったら4月のミロシュの誕生日に新しいスパイクを買ってやるつもりだった。

「楽しかったんだ」
 ミロシュが不意に口を開く。ぶら下げていたボールを胸に抱え、戸惑いの表情を浮かべてルカを見ている。
「初めて、サッカーをしていて楽しいと感じたんだ。特にサイドバックの子と連携が上手くいって、同じイメージを共有できてるのが気持ちよかった。最後のほうは、相手のディフェンダーの考えてることが全部わかるみたいな感じになって、何でもできそうな気持ちだった。だからトモにゴールをプレゼントしてあげたよ」
 楽しかったことを話す表情ではなかった。その初めての感覚に、さらにその感覚と結果との齟齬に苦しんでいるようだった。
「楽しんじゃったからダメだったのかな」

 正直なところ、ルカには息子が見たことのない動物のように見えた。息子の言葉が理解できなかった。サッカーは仕事だ。我々普通種(ユージュアル)にとって、労働は楽しむべきものではない。
 ルカは息子に失望した。まるで高等種(ヒューマン)になったかのような物言いをしている息子は、今後良い職につけることはないかもしれない。自分の教育が間違っていたのだという自責も感じつつ、親としてのギリギリの責務を果たそうと、落胆をできるだけ隠して言った。
「そうだな。仕事を楽しむのはプロじゃない。」
 ミロシュの釈然としない思いは言葉にできないまま夜空に溶けていき、やがて彼自身にも感知できないものとなって消えた。

たどり着けない迷宮

 オーケー、私が案内しましょう。と紳士は抑揚のない声で言って、その後になって決まり事を思い出したかのように笑顔を見せる。
「ふつうは」
 紳士は速過ぎも遅すぎもしない絶妙な速度でわたしの前を歩きながら話し始める。
「自分の迷宮にはご自身で到達されるのですがね」
 嫌味っぽさは全くない。端的に疑問に感じている、という声だ。
 こっちこそ疑問だらけなのだが。

 丘の上に見える街は、全体が城壁に囲まれている。月明かりだけでは暗くてよく見えないが、長辺が1㎞もないくらいの小さな街のようだ。芝生に挟まれた歩道を登り、門をくぐって石畳が敷き詰められた街路をたどる。
 紳士の足音が変わり、彼が木靴を履いていることに気づく。
 古城をリノベーションした国営のホテルが街の先端にあった。彼に従ってフロントを素通りして、古い鎧やらタペストリーやらで飾られた廊下と階段を進む。
 無言で立ち止まってこちらを振り向き、また思い出したように先程と全く同じ笑顔を見せ、わたしに鍵を手渡した。
「ここであっていますよね」
 そんなこと分かるわけがない。といって否定する根拠もないし、何より今夜は疲れ切ってしまっている。 わたしが曖昧に頷くと、彼は不自然な素早さで笑顔を消して、はっきりとした返事をわたしから得ようとする。

 こういう形のチュートリアルなのかもしれない。わたしは面倒くさくなって、
「間違いありません」
と告げる。篝火を模した照明がギリギリの明るさを保つ廊下に、その声は他人のもののように響いた。
「迷宮の構成要件は」 わたしが聞き直そうとするよりも早く、彼は続ける。
「3つあります。境界と不変性とあともう一つ。境界とはもちろん迷宮の外縁のことで、迷宮の範囲を規定します。不変性に関しては、固定化ではなく運動している不変であることに留意してください。迷宮は牢獄ではありません。」
 それきり彼は黙ってしまう。
「あともう一つというのは」
 わたしの質問に彼は怪訝な表情だけで応じて、丁寧な動作で手をドアの方に差し伸べ、中に入るよう促す。

 わたしが求めたのは安住の地だった。人間であろうとすることで極限まで疲弊させられる現実から離れ、心の安寧が得られる場所を求めてここにやってきた。
 それが「迷宮」と呼ばれていることに感覚的な不安を覚えはしたが、「運動している不変」はまさに望むところだ。
 自分で何かを観察し、吟味し、選びとることからの脱却。あなたはまだ幸福ではない、という強迫観念からの解放。人間は固有の魂をもって生きるべきという理想からの自由。
 それは一言で言うと、可能性の放棄だ。
 そのためには振り子のような繰り返す運動としての安定性が、確かに必要かもしれない。

 鍵を開けるのに手間取っているうちに、いつのまにか紳士の姿は消えていた。 鍵穴に入れたままの鍵を捻りながら開ける形式のようだ。左手で鍵を捻りながら右手で触ったノブが異様に冷たくて声を上げてしまう。
 山道で突然獣に出遭うような、生の自然に不意に触れてしまう恐怖にも似た忌避感が身体を満たした。
 このドアの先に入れば戻れない。理由なくそう確信する。
 もっとも、このゴーグルとヘッドホンを外せば、いつでも元の現実に戻れるはずだ。
 しかしそこに戻らないと決めたのも他ならぬわたし自身だ。
 冷たい手が首筋にまとわりつくような感覚を振り払って、わたしはドアを開けた。

 そこはわたしの部屋だった。 さっきまでわたしがいた現実と寸分違わぬ景色が広がっていた。振り返っても入ってきたドアはもう見えず、見慣れた台所が見えるだけだ。
 ゴーグルはまだわたしの頭に装着されている。
 つまりここがわたしの迷宮ということなのだろうか。それともわたしは何か致命的な失敗を犯してしまったのだろうか。 紳士の言っていた「三つ目の構成要件」が不足しているのか。
 ゴーグルを外す。再起動する。アプリは消滅している。わたしは溜息をつく。

 わたしはわたし自身で迷宮をつくりあげなければならないらしい。
 現実とまた係り合う。現実を迷宮化するため、できる限り行動をルーティン化する。行動範囲を限定し、そこからはみ出さない。選択をしない。前例にのみ従う。
 そうしてわたしはこの迷宮に足りないものに気づく。
 判断のすべてを委ねられるもの、即ち神の存在に。

春は

 春は日暮れ時。
 やわらかい西陽がきれいな角度で差し込んでくる、故郷の駅のホーム。線路の向こうに見える街の風景は少しずつ変わっていても、陽差しの色は昔から変わらない。否応なしに懐旧に浸される。
 発着時刻を告げる電光掲示に、日が長くなったことを思い知らされ、通過する列車が起こす風の冷たさに冬の名残を感じて、陽の当たる場所へ移動する。
 風と眩しさで目を細めて見る光の先に、あの春の日を確かに見る。

 

 夏は明け方。
 電車が動き出す前、既に明るくなり始めている空。車で自宅に向かう。陸橋を越える時に視界が開け、ビルの屋上の赤い灯火が、青醒めた空に消し忘れたイルミネーションのように輝く。
 未だ消えない街灯が車窓の外でリズムを刻む。色温度だけが補正されたような、ひと気を感じられないビル街。眠っているのか死んでいるのか判別できないようなその場所で、ひとときのディストピア幻想に酔う。

 

 秋は真昼間。
 きちんと下地処理した後に塗装した壁のように、均質で美しい青さの空の下、川沿いを自転車で走る。雲はひとかけらもない。太陽は輝きを主張しない。一年に必ず一度はある、完璧な空の日。
 そういう一日があることを特別な誰かに伝えたくて、でもその誰かにはまだ出会ってもいなくて、だけどどこかに必ずいるはずとペダルを強く踏んで、この先にあるはずの景色を曇りなく信じることができる。

 

 冬は夜。
 建物の輪郭がおろしたての剃刀の刃のようにエッジを際立たせる、透明な空気。線路沿いを歩きながらその空気の冷たさを頬に心地よく感じる。線路側の空は開け、まずはオリオン座を探す。
 冬の大三角、双子座、昴。立ち止まって空に集中すると、少しずつ目が慣れて星々が姿を現す。ちらちらとまたたき、時に弱々しくさえ見える星に、笑顔でさえいてくれたら他に何も望まないと、心から祈る。

詰められた正月

 コードナンバーなどもなく、ただ名前を聞かれる。そして「お前が予約したのはどの商品か」という質問をされる。それは予約を受けた側で管理する情報ではないのかと面食らうが、価格表を見せられて「どの程度の値段だったか思い出せ」と促され、まぁこれだろうというものを選ぶ。
 一年の最後の日、古都の料亭でかくのごとく入手したおせちはずしりと重かった。3〜4人前の2段重とのことだが、密度を感じる重量感だ。
 宿に備え付けの冷蔵庫にピタリとしまうことができるサイズだったのが気持ち良い。一安心して再び宿を出ると雪が強くなっている。近くのコンビニエンスストアで買い物をする。店を出て見上げると、緑と青に光る看板が雪を照らして不思議な光景を作っていた。
 宿に戻って湯を沸かし、先ほど買ったインスタントのカップ蕎麦を食す。最低限の形で行事をこなすつもりだったが、思いのほか美味かった。しかしフリーズドライの葱だけは、私は許すことができない。

 新年を迎え、身を清めて宿を発つ。古都の隣にある都市の片隅に位置する、私の生まれた町へ向かう。
 都市間のスムーズな移動を実現した大規模旅客輸送システムを利用し、私は故郷の玄関口となるステーションに着く。何度も利用したその場所で、初めて利用する新しい昇降機に乗ってグラウンドレベルまで下降し、チケットコントロールを通過する。
 周囲の様子が昔と全く変わっていて、過去の記憶にある映像を目の前の風景に重ねようとするのだが、目印となるような点すら見つからず、うまくいかない。
 見上げると遠く天空で大規模な建設工事が行われている。正確には正月なので工事は一旦中断されている。大規模旅客輸送システムの路線の付け替えが行われているのだ。私がこどもの頃は地を這っていたものが、宙空を貫いて走るようになるらしい。新路線はまだ途切れ途切れで、軌道の一部であろう未完成部分が、完成した軌道の上に無造作に置かれている。斜めにはみ出すように重なっていて、今にも落下してきそうだった。
 かつてはなかった大きな道路が町を縦貫していて、私の曖昧な記憶はさらに劣勢に追い込まれる。小学校、理髪店、お好み焼き店など、いくつかの現存するポイントで記憶をなんとか繋ぎながら、故郷の団地にたどり着く。

 満足のいく写真を撮り終えるまで、食べることは許されない。
 そのような暗黙の了解を経て、2段のお重は家族に開放される。これも行事としての食事ではあるが、もちろん美味かった。そうでなくては困る。いやらしい言い方だが、それなりに値が張ったのだ。
 酢締め系のものが特に美味かったのは、もともと冷たいお料理だからだろうか。
 運んだ際の重量感はそのままボリュームとして反映され、我々は舌だけでなくお腹も十分に満足させられた。元日の16時までというタイトな消費期限は余裕でクリアーした。しかしおせちというものは3が日の間何も作らなくていいように設計された一種の保存食ではなかったかという疑問は残る。

 イベントとしても食事としても我々は満足した。全体的に計画は成功裏に終わったと言っていいだろう。一定の達成感を味わって、私は生まれた家を発って今住む場所に向かう。宿泊は考えなかった。そういう時世だ。
 超高速大規模旅客輸送システムの座席に座って、窓から外を眺めるが、暗くて何かを視認することはできない。
 ぎっしりと詰まっていたおせちを思い出しながら、極端に濃縮された年始と帰郷を重ね合わせてみる。
 イベントで埋め尽くすようなスケジューリングを軽蔑していた人間だった私が、こんな年末年始を過ごしている。
 それは時世のせいなのか、私自身の年齢のせいなのか。正直なところ、よくわからない。

消失

「指切りしよう」とあの時言い出せなかったから、だから僕は彼女には、まさに指一本触れていない。

 ベランダに通じるサッシを開けると、5倍ほどの音量になった蝉の声と蒸れた熱気が網戸越しにどっと入ってくる。そのあと台所側の小さい窓も開けるけど、なかなか風は通らない。
 でもいつもと変わらず10分間はそうして換気を試みてから、あらためて部屋を閉め切ってエアコンをつける。
 やはり顔に汗をかいてしまった。汗が床に垂れたりしないよう注意しながら、顔を拭いたタオルを首に巻いて掃除を始める。住む人が今はいないので、床に軽く掃除機をかけ、あとは流しと洗面台とトイレに水を流すだけだ。お風呂については迷いもしたが、カビたり虫が湧いたりすると厄介なので、住人の許可を得ないままに、週に一度は掃除することにしている。
 掃除を終えると、本棚から一冊本を借りて、2時間ほど部屋で読ませてもらう。僕の中ではこれが彼女不在時のハウスキーピングをする対価ということになっている。
 彼女の本棚は驚くほど僕のそれと中身が違っていて、共通している本は数えるほどしかない。しかしどの本も魅力的で、僕はこの時間、読書自体の喜びにふけりつつ、彼女にふれられるような喜びも味わう。どの本もいくつかのページの角が折り返されていて、彼女がそこで何を感じ何を考えたのか想像しながら読むのだ。
 実際今となっては、彼女について何かを知ろうとするには、この本棚を通じてでしか為し得ないかもしれない。
 時間が来ると僕は本を元あった場所に戻して部屋を去る。他にすることは何もない。書き置きを残したりもしないし、止まっているらしい時計の電池を交換したりもしない。
 過度の干渉はできない。現状を留めることのみに専念する。
 だって僕は彼女の恋人でもなんでもなく、ただ最後に会ったあの時「離れても友達でいる」という約束をしただけだ。指切りは、できなかったけど。

 彼女が消えたのは5月の連休明け。
 僕が異動前にいた部署を用があって訪ねると、そこにいるはずの彼女の姿がなかった。外出や休暇かもしれないなと思ったが、周囲の人に尋ねることはしなかった。気のせいかもしれないけど、「なぜお前が今更ここにいるのだ」的な雰囲気を感じてしまい、用があって来たことを周囲に認識されやすいようにやや大げさな動作をした上で、それが済むとすぐに立ち去ってしまったからだ。
 例えば服を買いにいっても店員から「お前が?服を?選ぶの?その顔で?」と思われているのではないかと怯えたり、カフェやファミレスで飲食が済むと店員が一刻も早く自分を追い出そうとしているように感じたり、道に迷って引き返す際も携帯に電話がかかってきたフリをして周囲に迷ってはいない感をアピールしたり、つまり自意識過剰な僕のことだから、前いた部署の人たちの反応も、僕の考え過ぎなのかもしれない。
 ともあれ、その後も何度かその部署を訪ねたが、彼女はそこにいなかった。
 なるべく短い時間しか滞在しないようにしていたのでよく覚えてはいないが、彼女の席に置いてある物はずっと同じ配置同じ状態のままだったと思うし、個々人の予定を書き込むホワイトボードも彼女の欄はずっと空白だった気がする。
 僕と彼女を繋ぐものは、会社という「場」しかなかったから、僕は彼女と会う方法を突如として失ってしまった。
 ひと月前、7月に入って本格的に彼女を探し始めるまでは、僕はただただ他人事のように目の前にある喪失を眺めていた気がする。

 掃除と読書という午前の日課を終えて会社に向かう。僕の出勤はいつも午後だ。
彼女のマンションから会社へは徒歩で向かう。その最中、路上でまた人にぶつかってしまった。丁重に謝り、向こうもいい人で大きな問題にはならずに済んだ。直前まで向こうに僕が見えていなかったようにも感じられたが、おそらく僕の不注意だろう。
 最近僕は、たとえばコンビニの飲料品売り場で目当てのものの隣りにある商品を手に取って気づかずレジに持っていってしまったりすることがよくある。目が悪くなった自覚はないので、注意力が減退してきたのかもしれない。
 でも体感としては、自分という電球と世界というソケットの接続が悪くなったような、そんな表現がしっくりくる。もともと噛み合っていなかったものが、どんどんその齟齬を大きくしていっているような。
 世界との折り合いの悪さは、誰しもそうだと思うけど、自意識をもって以来ずっと感じている。それを感じていない人が実在するかもと初めて思ったのが、彼女を知った時だった。
 最初の印象は「自分と正反対の人間」だった。彼女は抜きん出たコミュニケーションスキルを身につけていて、状況の変化に応じて自らをアップデートすることを厭わず、つまり高度な社会性を常に発揮できていて、僕の持ち得ないものを全て持っているように見えた。
 当然、仕事場では有能な社員として重宝されていて、彼女より後にその部署に加わった僕は、年下の彼女から学ぶことばかりだった。学ぶといっても手取り足取り教わるというものではなく(彼女にそんな暇はない)、もっぱら見て盗む系で、つまりは僕が勝手に師と仰いでいただけだけど。
 とにかく、最初は「こんなに世界にフィットできる人間がいるのか」と、羨ましさを超越して脅威を感じたのを覚えている。世界に居心地の悪さしか感じたことのない僕にとって、交わる点のない別次元の人、それが彼女の第一印象だった。

 会社のエントランスに着いた瞬間に着信があった。取引先からで、自分のフロアに上がる前にロビーのソファで電話対応することになる。
 婉曲だが譲らない雰囲気を感じとった僕は、こちらが対応すべきかどうか微妙なタスクを請け負ってしまう。はねつける胆力も気力もなく、そんなやりとりをするくらいなら多少の面倒を引き受ける方がマシだ、といういつもの考え方。
 もう一つ、今話している取引先の担当者の名前を全く思い出せない、という負い目もあった。会話は支障なく終えられたが、いつ相手の名前を口にしなければいけない状況になるかと怯えながら通話していた。その心持ちが無用な譲歩の理由のひとつにはなったかもしれない。切ってすぐに携帯の電話帳で確認する。そう、緒方、緒方さんね。
 人の名前を覚えられないのは昔からよくあったが、最近はとみにひどい。同じ部署の同僚の名前も忘れたりして、こっそり行動予定のホワイトボードをカンニングしてから話すことなどもある。
 覚えられなくなってきているのは人の名前だけではない気もしていて、最早自分の脳が現実についてこれ以上の新情報を受け入れなくなっているのでは、とすら考えている。これも考え過ぎだろうか。
 そんな僕でも、彼女の話した言葉は一字一句確実に思い出せるのだ。
 4年前の12月、ある取引先をともに担当することになった彼女と僕は、年末に向け賑やかさを増す街のレストランでランチ接待をしていた。媚びる様子は一切ないが相手の望んでいるであろう反応を自然に返す彼女に、取引先の女性はすっかり魅了されていた。僕はほとんど口を挟む必要も余地もなかった。
 実際にそうだから仕方ないのだが、役立たず極まりない感じを存分に醸し出しながら彼女の光り輝く社会性を横目に眺めていただけの僕は、仕事の話が一段落して、長めのお茶タイムでの雑談が続いている中、いつもどおり文脈にそぐわないことを口にしてしまう。
「でもモラルって元々はフィクションの中にしか存在し得ませんよね」
 あれは何なのだろう。突如抽象的・概念的な主張をし始めてしまう癖。もちろん自分なりに筋の通ったことを言ってはいるのだが、今ここで言うべきことではない。ああまたやったなーと他人事のように変な空気を見つめていると彼女は、
「わかる。フィクションを介してしか落とし込めないものですよね」
と言った。
 話はそれで終わって彼女は上手に次の話題に切り替えたのだが、僕は自分がなぜいつもあんな変な主張をしてしまうのかがやっと理解できた。こんなふうに響いてほしかったのだ。敢えて響きそうにない、伝わりにくいことを言うことで、それがきちんと共有できた時の喜びを最大化したかったのだ。それは競馬で大穴ばかりに賭けてしまうのと似ている。大金が欲しいというより、低確率の馬券を当てた奇跡に酔いたい。
 改めて自分のどうしようもなさを再確認しながら、僕は彼女がすっかり好きになってしまっていた。

 電話を終えてオフィスに向かおうとエレベーターを待っていると、今僕がいる部署の社員数人が降りてくるところに鉢合わせた。軽く会釈してやり過ごそうとしたが、そのうちの一人に「俺らこれから昼飯いくんですけど、一緒にどうですか」と声をかけられてしまう。
 僕が昼食を既に済ませていたのはいいとしても、話すことが何もないであろう面々と食事にいくのは気詰まりだ。例によって僕は彼らの名前をちゃんと覚えていないし、彼らを楽しませる会話ができないのはもちろん、彼らの会話を楽しむこともできないだろう。
 しかし異動したばかりの僕が少しでも早く新しい部署に馴染むためには、必要な修業だと割り切らねばならない。おそらく誘ってくれたナントカくんも、誘いたくなんかなかっただろうが、部署のことを考えてそうしてくれたのだ。
 僕は笑顔で応じ、社を出て一緒にイタリア料理店に向かう。
 シェアするタイプのランチは、この部署の文化なのだろうか。適当に注文されたピザやパスタが大皿にのって供される。飲み会のようで慣れないが、腹は減ってないので問題はない。皆も僕が食べないことに気を遣ったりしないようだ。
 それ以前の問題で、テーブルでの会話に僕は全く加われていない。彼らはずっと今の上司の問題点について議論しているようで、もちろん僕はその議題について意見も感想もないが、そもそも話を振られすらしない。
 これは世間では常識とされていることだろうが、人々が誰かの悪口で盛り上がっている時に、部外者的な立場の人間は同意や共感を表明してはならない。それは求められていないし、ともすれば同意した人間こそが悪口を言っていた主体だということにされかねない。何故かはわからないがそうなっているのを経験的に承知しているので、僕はずっと黙っていた。そして何も食べなかった。つまり、全くやることのない小一時間を過ごし、僕はこの同僚たちをいつか少しは好きになれるのだろうかと考えていた。
 好きになる。アクリルか何かで作られた筒の中に自分がすっぽり収まっている。「好き」という気持ちを口にする。それが液体となって口からこぼれ出す。それは筒の中に少しずつ溜まっていく。「好き」何度も口にする。その度に筒の中の水位は増していく。自分でもこれはまずいと気づいている。でも止まらず呟く。「好き」。そして水位はいよいよ顎あたりまで上昇し、僕は必死で水を上から外に掻き出そうと、両手をジタバタと動かす。「好き」と口にしながら。ジタバタで掻き出せる水分量と口からこぼれる量が一致してどうにか均衡が保たれ、ギリギリ呼吸を確保して、傍目には狂っているとしか思えない動きを続ける。
 そんなふうに彼女への気持ちを募らせた。もちろんその気持ちを言葉で伝えようとか、その上で新たな関係性を構築したいとか、そういうことは一切思わなかった。
 僕は誰にも気づかれず一人でジタバタしているのが好きなのだ。それは、自分がやりたい限り自分の意志だけで誰にも遮られることなく続けられることだから。

 トイレに寄ると言って同僚たちと一旦別れる。
 実際にトイレにいったら猛烈な吐き気に襲われて戻してしまった。昼はうどんだし消化はいいはずなのにと思いながらも、嘔吐するという自分の状態になんとなく納得してもいた。たぶん僕はどんどん適合できなくなってきているのだ。
 既に日課のようになっているのだが、今のオフィスにいく前に、前いた部署を覗いてしまう。もちろん近づかず、遠くから彼女の不在を確かめるだけだ。前の部署の人たちに見咎められるわけにはいかないので、一瞬で確認作業を終える。
 最近はそこに彼女がいることが想像できなくなっている。いたら逆に取り乱してしまうかもしれない。会いたいのに、いないことを確認しにいくというのも変な話だが、もう彼女がここに戻ることがないのは確信していた。
 もう彼女の席には、誰か別の人が座っていたようにも見えた気がする。
 会いたいかと言われたら会いたい。でも、会って僕から何か伝えたいことはない。ただ、もうあと少しだけでもいいから、彼女のことが知りたい。
 彼女と話す機会はそんなに多くなかったのに、僕はいつもどうでもいい自分のことばかり話して、彼女の話をあまり引き出せなかった。「知りたい」より「知ってほしい」が強く出てしまっていた子どものような自分自身に呆れてしまう。
 ごくたまに、彼女が自分について話してくれる時があって、例えば「実はお笑い好きで」とか、「歴女なんです」とか、そういう話を僕が意外そうに聞いていると、彼女は「これ、私の裏設定です」と言って笑った。
 思い出す度に気管を鷲掴みにされたような気がして言葉を失ってしまう、絶対に忘れることができない笑顔。

 ようやくオフィスにたどり着くと、僕の席の前にドラム式の洗濯乾燥機が置いてあって、それが邪魔をして椅子が引けず座れない。これは誰しもが知っていることだろうが、洗濯機というものは家電の中でもとりわけ重い。この状況を解決するには庶務部に相談すべきなのだろうか。しかし内線番号がわからない。洗濯機が邪魔して内線番号表をラックから取り出すこともできない。
 部署の誰かの手を借りるべきことか判断がつかない。同僚も特にこちらを見ようとはしない。この新しい部署では、洗濯機の移動など自分の裁量で行うことなのかもしれない。ただ、もしかしたら僕が知らないだけで専門の洗濯機移動業者と契約していたりするかもしれないから、勝手なことはできない。僕は洗濯機との共存方法を考え始めた。
 少し右側にずらせれば椅子が出せるかもしれないが、そしてそれは全力で押せば独力でも可能だろうが、しかしそれでは右隣の席の人のテリトリーに洗濯機が侵入してしまうことになる。新参者の僕にそれは絶対にできない。そんなことをすれば洗濯機という物理的な障害以上の不都合が生じる可能性がある。
 前の部署では右隣の席にいたのが彼女だった。
 仕事中に喋ったことはほとんどない。よく観察するようになってやっと分かったことだが、彼女は仕事中はいつも不機嫌そうで、いつも集中していた。
 僕はその不機嫌さを眺めるのが好きだった。この世界で現実にまみれる必要に迫られた時に不機嫌になるのは当然で、それを表現する彼女の誠実さと率直さに惹かれていて、また同じ思いを共有している気持ちにもなれたからだ。だから、変に話しかけて彼女に明るく感じの良い対応をさせてしまうことにはもったいなさを感じ(彼女はひとたび他者に対応するとなるとやはり恐ろしいほどの社会性を発揮するのだ)、僕はよほど必要な場合を除いて彼女に話しかけたりはしなかった。
 完璧な社会性をもった人が、僕と似たようなものを抱えているかもしれない、そんな妄想に少しでも長く浸るために、不自然に見えないように注意しながら、そっと眺めていた。

 僕は洗濯機問題について積極的解決を求めるのを諦め、行動予定表に「以降在宅勤務」と記して会社を後にした。どこかから抜け落ちていく部品になったようなイメージを思い浮かべながらエレベーターで降下し、会社から出たものの家に帰る気がしない。
 あてもなく歩き出すとまたしても人とぶつかってしまう。初老の男性に、今度はあからさまに舌打ちをされた。腹は立たないが、自分が路傍の石ころにでもなったかのような惨めさを味わう。自分の存在が薄まっている気がする。
 コンビニでお茶を買って自分が透明でないことを確認し、なるべく人のいない狭い路地を選んで歩き、結局彼女の部屋に戻ってきてしまう。
 304号室。鍵はもともと開いていたので、不用心だとは思うがそのままにしてある。鍵を持たない彼女が戻ってくることだってあるかもしれない。
 8月が終わる。会えなくなって4ヵ月近く、僕がこの部屋に来るようになって1ヵ月半。戻ってくることなんて本当にあるのだろうか。
 そもそも彼女はどこに行ってしまったのか。
 それすら僕には分からない。相談できる人もいない。
 彼女の部屋に午後に入るのは初めてだ。陽の光の関係なのか、少し部屋が狭くなったように感じる。
 ここにははっきりとした不在がある。
 その不在が彼女の存在の可能性をかろうじて示唆してくれる。
 だから僕にとっては今、この場所が、一番自分でいられる場所になっている。

 ここの本棚には、僕が彼女に貸した本もある。おそらく彼女はまだ読んでいないのだろう。本棚の一角の、そこだけ本が横積みにされているエリアに置かれていて、そこは未読コーナーなのだと僕は理解している。
 買ってきたお茶を飲みながら、午前の続きを読ませてもらうことにする。西陽が眩しくてカーテンを閉めさせてもらうと、部屋の静けさがより増すように感じる。本を通じて、彼女との対話に集中する。携帯の電源は落としておく。どうせやらなくてはいけない仕事など一つもないのだ。
 彼女と本の貸し借りをするようになって、会話する機会も増え、ほんの少しずつだけ彼女のことを知っていき、僕はますます彼女に惹かれていった。
 彼女もこの世界に居心地の悪さを感じていて、(そうは全く見えなかったけど)今の仕事は自分に向いてないと感じていて、仕事とは別の場所に自分の魂の置き場があると確信していて、フィクションに抗えない魅力を感じていて、文章芸術が好きで、物語脳で、つまり僕と話が合った。意外だったがもちろん嬉しかった。僕は有頂天になっていたと思う。
 そして彼女と最後に会ったのは4月の下旬。僕が来月から部署が変わることになったと告げると、思ったほど悲しんでくれず僕はまた自分が自惚れていたことに気づいて意気消沈したが、彼女は笑顔で「部署が別々になっても友達で」と言ってくれた。
 その時僕は「じゃあ指切りしよう」と小指を差し出そうとして、できなかった。曖昧な笑顔で頷いただけだった。

 本に集中しすぎて、彼女の部屋を後にしたのは20時頃になってしまった。
ドアを出たところで隣の部屋の住人であろう女性に会い、軽く会釈をした。あからさまに不審な目で見られたので、自分の立場を説明しておいた方がよいだろうと判断し、努めて明るく話しかける。
 彼女の不在の不自然さに触れないようにしながら、自分と彼女の関係など、丁寧に説明し終えたところで、不審げな表情を全く崩さずに聞いていた女性は一言だけ「何号室ですか?」と聞いてきた。
「ですから304です」という僕の言葉は、女性の不審の表情にさらに困惑と恐怖を加えたようで、女性は後ずさりしながらそれ以上何も言わず自室に戻っていった。
 あれと同じ表情を見たことがある。
 6月の終わり、仕事の引き継ぎも完了して、もう前いた部署を訪れることはないだろうなと思った僕は、思い切って彼女の向かいの席に座る後輩女性に、彼女の動向について聞いてみた。
 その後輩とは前の部署の同僚の中でもとりわけフランクに話せる間柄で、だから僕はその質問に対して明確な不審&困惑&恐怖を顔に滲ませられたことに少なからず動揺した。
「誰のことを話してるんですか?」
 本当にわからない、という様子だった。後輩のその声が大きかったこともあって、周りの元同僚もこちらを見て、やはり不審そうな目を向ける。
 彼女の机はある、ように見える。行動予定ホワイトボードに彼女の名前もある、ように見える。
 でも彼女は、もともといなかったことになっていた。
 それは部署皆の共通認識のようだった。
 僕はそれを理解してからは、状況をわりとすんなりと受け入れたのを覚えている。
 そういうことも、ある。
 世界から脱落し始めていた僕にとって、彼女も同じようにこぼれ落ちてしまっていることは、一種の福音のようにすら感じられたのだ。

 住人には不審がられたものの、次の日も朝から僕は彼女の部屋に向かった。
 頼まれたわけでもないハウスキーピングをして、読書。
 会社に一旦向かって、変わらない状況を確認し、在宅勤務という名で再び彼女の部屋で読書。
 ページの角が折られているところを見つけては、彼女と対話しているような気持ちを味わう。彼女の了解も得ずにこうしていることを咎める心もあるが、僕はこの部屋でならとても充実した時間を過ごせるのだ。
 先月、僕が自力で彼女を探し始めて、最初にしたのがこの部屋を訪ねることだった。
 昔いた部署の名簿に住所が載っていた。もちろんそれまで訪ねたこともなく、そこまでの仲でもなく、いきなり押しかける非常識さは承知していたが、「いなかったこと」になっている状況が僕を後押しした。ある種の非常事態なのだ。そこに彼女がいて、めちゃくちゃ迷惑がられたり軽蔑されたりしても、それはそれでいい。
 幸いオートロックではなかった。インターホンを押し、ノックもしてみたが不在。それを3日繰り返してから4日目、僕は部屋に鍵がかかっていないことに気づいた。
 中で倒れているなどの想像もはたらき、「入るよ」と大声で言ってからドアを開けた。
 正面に見える窓が開いていた。灯りもついていた。玄関には何足かの靴、傘立てには傘、洗って乾かしている食器、机の上にいくつかの書類。きちんと整理されてはいるが、彼女がさっきまで暮らしていたかのような部屋だった。
 ちょっとコンビニまで行って鍵をかけ忘れたような。
 会社では誰も認めることがなく僕もうまく確かめることができなかった彼女の不在が、ここでははっきりと感じられる。彼女は確かに存在していた。

 今日はメジャーを持ってきて測ってみた。部屋は明らかに狭くなっていた。玄関から窓までの奥行きは変わらないが、幅が減少している。
 不思議な現象ではあるが、幸い本棚は狭まってない側面の壁についているので、今のところ読書に影響はない。
 明日も測って一日にどのくらい狭くなるのかを計算しよう。この部屋が消滅する日が特定できたらそこから逆算して本を読む速度を決めなければ。あるいは全て読み終えられないかもしれない。
 そんな焦りから、0時近くまで長居してしまった。しかしさすがに宿泊するわけにはいかない。静かに部屋を出ると、管理人を名乗る男が話しかけてくる。
 苦情がきていて。困るんです。住人も不安で。関係者以外は禁じられてて。用もないのに。警察に通報しないといけなくなる。会社はどこ。
 などのようなことを言っているが、眠さもあってしっかりと聞く気になれない。
「うちは304号室なんてないんです。オーナーが縁起をかつぐから、各階4号室はないの。だからあんたの言ってることは…」
 最後まで聞かずに僕は彼女のマンションを後にする。

 家に帰ろうとするが、タクシーが捕まえられない。
 空車は何度も通りかかるのに、僕が見えないように過ぎ去っていく。道路に大きく出て手を振ってもダメだ。危うく轢かれそうになる。
 終電も過ぎていて仕方なく歩いていると、また通行人がぶつかってくる。もう舌打ちすらしない。暗いからかもしれないが、何か見えないものにぶつかったかのようなリアクションだ。
 3人目にはかなり勢いよくぶつかられ、僕は突き飛ばされて路上に尻もちをついた。
 たぶん僕はもう、ここに存在できなくなってきているのだろう。ある意味では死んでしまっているのかもしれない。確かに肉体はここにあってこんなふうにペットボトルのお茶を飲んだりできるけど、魂という意味では既に消滅してしまっているんじゃないか。いつからそうなのかは分からない。とっくの昔からそうなのか、彼女と会えなくなってからなのか。

 自分が実はもう死んでいるのかもしれない、という考えにたどり着いて、やっと寝心地のよい寝相を見つけたような一種の安心感を味わう。いくつかの飲み込めていなかった違和感が消えてゆく。世界との接続の悪さも納得がゆく。
 だとしたら今ここにある肉は誰のものだろうか。眩しさや眠気や腹が冷える感じを伝えてくる身体。ここにギリギリ繋がっていて、意図するにせよそうでないにせよそれを操作してすらいる僕はいったい誰だ。死んでいるのにまだ身体にしがみついている、これこそが旧くより偉大なる先人達が「捨てよ」と教えたもうてきた執着というものなのか。
 僕は既に死んでいて、ただ成仏できず、執着だけで未だ腐らぬ肉に接着されていると。
 ならばその執着の根本にあるものは何か。
 もったいない精神。いい線をついている。およそ人が自死を選ばないのはこの吝嗇くさい精神によるのではないか。もしかしたら何か別の用途に使えるかもしれない、という根拠なき希望的観測によって捨てられずにいる使用済みの道具。用途が不明瞭なまま放置され、忘れられた頃には道具自身の物質的限界に達し、晴れて死を迎える。
 それもないとは言えないが、今の僕にとって根本的ではない。
 彼女のことを知りたい。
 やっぱりそこに行き着いてしまう。自分のことを彼女に知ってほしいというのは諦めた。この関係に双方向性は最早あり得ない。

 準備を始めないといけない。
 残された時間はあまりなく、すべきことは決まっている。
 世界から脱落するなら、速やかに脱落し、その上で然るべきゴールを目指さなければ。
 2時間以上かけて徒歩で家にたどり着き、即ベッドに横たわる。疲労感が僕の肉体が未だ存在することを伝えてくる。身体(コイツ)はよくやってくれている。まったく、頭が下がる思いだ。

 朝、決意を実行に移すことにする。
 預金を全額引き出して現金にして持ち歩く。
 それだけのことでこんなにも現実から逸脱した実感が味わえるというのは、僕も思った以上に卑小な人間だったわけか。現実と手を切ることを希求すると口では言ったりしてながら、実際的な行動は何も起こしてこなかった。
 あとは会社に辞めますと伝えれば、いや、その手続き自体が現実的だし何より面倒だ、ただ行かなくなって連絡を絶てばいい。
 結局、現実との接点なんてそんなものだったのだ。「最後は金目でしょ」。イエス、その最後を断ち切れば、あとは自分の執着を自分で処理するだけだ。

 彼女の部屋に入る。もうここから出るつもりはない。
 食料や日用品を大量に買い込んでみたが、こんなにいらなかったかもしれない。部屋は加速度的に狭くなっているようだ。
 幅を測るのもやめた。意味がなさそうだ。
 それより彼女の本について、読む順番を考えよう。限られた時間、優先すべきものから読んでいかなくては。
 ここにずっといれる。ここで終えられる。本を通して彼女に触れ続けられる。ワクワクする。人生で一番ワクワクしている。
 部屋は目に見えて狭くなってくる。
 最終的には幅が完全にゼロになり、部屋も僕も世界も平面になるのだろう。
 この世界ではねじれの位置にあって交われなかった彼女と僕という直線も、二次元の世界でならどこかで必ず交わることになる。
 それでも交わることがないとしたら、
 それは彼女と僕が美しい平行線を描いているということ。
 そっちのほうがなお望ましい。それならば二人は永遠