四次元くずかご

自分のかたちを知るために、ことばを連ねてみたなにか

2021-09-01から1ヶ月間の記事一覧

戒める

ここは間違いない店なんだけどな、と私は定番料理のイワシのマリネを美味しさを確認するように味わいながら、カウンター席の隣に座る彼女の浮かない表情を窺い見る。私は一応彼女の指導社員ということになっていて、今日彼女は仕事上の些細なミスで少し過剰…

解る

私が社会人になったばかりの頃、姪はよくうちに泊まりに来ていた。彼女は当時女子高生で、若さと可愛らしさと才気を自覚していて、その使い分けがうまくて、人を小馬鹿にしたような態度なのに愛くるしくて、つまり私はすっかり魅了されていた。 彼女とは、大…

拗ねる

「それって、褒めてるつもりですか」 普段あまり見せることのない彼の強い口調に驚いて、私は何か変なことを言ったかしらと反芻してみる。彼の後輩への対応を評価しただけのつもりだけど。「『優しい』と評されるたびに、『弱い』と言われてるように感じます…

惚気る

「真面目な人なのよ。律儀過ぎるっていうか」 夫が会社を休養することになった友人は、特に落ち込んでいる様子もなくそう言った。まだ肌寒さが残る季節、テラス席を選んで座った私たちを午後の陽射しが柔らかく包み込む。 私は、本心からではあるが、発した…

悖る

私の友達はもう1年半くらい、妻のある男性との交際を続けている。私はそれについて何かを言う立場にはないし、言いたいことも特にないが、彼女から意見を求められれば誠意をもって答えようとは思う。 でも、相手の男性には家庭を手放す気はなく、それを独身…

逸れる

なんで会社を辞めたのと訊くと、彼は「理由はいっぱいありすぎて…」と困った顔をするが、自分の中にある誠実さを引っ張り出してくるようにして、ゆっくりと説明し始めた。「まず、人を有能/無能と評価する風習に最後まで慣れることができませんでした。自分…

詩へ

まず必要なのは手順を理解することだ。 手順を覚えるのではない。その意味を過不足なく把握することこそが重要となる。 なぜこの香味野菜を均質な大きさに切り分ける必要があるのか。 それは次の手順においての熱による変性がなるべく同時期に起こるようにす…

僕の発心

今回村にやってきた偉いお坊さんは、この前の人とはまったく違うことを説く人だった。 大人はみんなそんなことは気にしていないみたいだ。ていうか、今までこの村にやってきたお坊さんたちの話を長い間ずっと覚えてるのは、僕くらいのものなのかもしれない。…

その都市を啓蒙思想家が訪れたのは、年末という来たるべき最大の消費シーズンに向け、誰もがどこかしら浮かれながら日々を過ごしていた頃だった。 思想家はSNSで発信する。「みなさまの蒙を啓くために、私はこの素晴らしい都市を訪問させていただきました。…

町を贖宥修道士が訪れたのは、来たるべき雪の季節に向け、誰もが口数少なく準備を始めていた頃だった。 修道士は言う。「罪ある者を赦すため、私は訪れた。この町で罪ある者は名乗り出よ」 住人200に満たない小さな町で、その修道士の言葉はたちまち皆の…

美しきクロウラー

積み上げられた死体の山。 手足を器用に使い、猿のようにその山に上って、死体の脳をほじくり出し集める小男。 薄闇の中、眼鏡だけが光を反射し、顔に穿たれた2つの穴のように見える。「ここは宝の山だ。すべての過去が、並列にここにある。」 男は慣れた手…

或る告発

或る男「貴様がかき集めた資料から推察したその結論は正しい。事実に沿っている、という意味で“正しい”。ただし、その事を公表することは正しくない。わたしはその行為に手を染めていない、という前提のもとに、世界は既に動いている。それを根底から覆すこ…

呪いが解けた世界で

音楽に世界を変える力はないわ。映画にも、小説にも、誰かの言葉にも、思想にも。そうして全てのものから神秘性が失われて、あけすけになって、さびれて、それぞれが一片のデータ以上でも以下でもないものに矮小化されて、でもそんなことは元々知っていたこ…

たったひとつのものさし

金で人の心は買えないって、あんたまさか、『フフフ、彼女とは別れるんだ。そうしたら1億円やろう』とか言われても俺は愛の力で断るぜ的な、ありえないシチュエーションをもとにした幻想のこと言ってるんじゃないの? こうやって生活している限り、私たちは…

脱会

自分が現在置かれている社会的状況を鑑みて、被害者としての立場を確立するため、打算的にあれはマインドコントロールだったと主張するとして、しかし本音ではあのときの自分こそが本来の人生を生きていて、その日々は「現実」に適応するために被害者を装っ…

信徒への手紙(真)

私たちは私たちの神の名のもとに命じます。私たちから受けた教えに従わず、勤勉を美徳とまつりあげるすべての同朋を遠ざけなさい。 あなたがた自身は、すでによく知っているはずです。私たちは、あなたがたのもとにいたとき、恩着せがましく労働してみせたり…

『ほとんど無害』(未読)

こうした形で月が再び脚光を浴びるとは思わなかった。 それは自分だけでなく、人類共通の感慨だろうとシアンは思う。 彼が初めて月を訪れた頃、人類はやっと自分たちが永遠に拡大し続けることなどないという当たり前の事実に気がつき始めていて、月面におけ…

『紙の民』(未読)

「墓を造ってるんだとさ」 今回組まされた相方はよく喋る。サボったり、働きをアピールしすぎたりしないのでやりにくくはないが、どうでもいい話に相槌をうたないといけないことにはうんざりもする。「いいか、これが俺たちの現場で、これら全体が組み合わさ…

『冬の夜ひとりの旅人が』(未読)

今年も不発弾の季節がやってきた。 セミの轟音にかき消されがちな町内放送が処理予定の日時を必死で伝えようとしている。 明後日の午後にやるらしい。いつもと同じ「避難勧告」もしてるけど、もちろん避難する人間など町にはいない。ぼくたち子どもはみんな…

『忘れられた巨人』(未読)

三角座りをして背中を丸め、抱えた膝に顔を埋めたまま、巨人はもう20年くらい動こうとしない。最後に巨人が動いたのを見たのは僕がまだ10代の頃、長かった夏が終わって半袖から忍び込む空気の冷たさにふと驚かされるような夕方だった。僕は実家のマンション…

『プラハの墓地』(未読)

城に着いたのは午前2時をすぎていた。 本当は夕方前に到着して霧深い街を見下ろす城を眺めたかったのだが、列車がいつ動くのかなんて分からない時代だ。 昨今の状況下においてライトアップも中断されている城は、ミステリアスというより全容がまるで見えな…

異説・未来の国からはるばると

1 セワシの棲む地区・ススキガハラst.は、健常民がそれを見下して精神の安寧を得るために造られた、指定被差別管理区域だ。遺伝子や健康状態に欠陥がある者がミスによって堕胎しきれず出産されてしまった場合、現行法上では殺処分できないため、このスラム…

そのような全てを軽々と飛び越えて

「実は」 とテレサ様は語り始める。この旅の間、簡単な用事の申し付けを除けば話しかけられることなどなかった付き人の私は、最初は長くなるお話だとは微塵も思わずに拝聴する。「私には信仰よりも大切なものがあるのかもしれません。」 馬車の窓から外を見…

ありふれた収奪

3枚目となる絵を納品する際に、流石に絵師はクライアントに尋ねた。「今回もお買い上げありがとうございました。客観的にも法外と言える金額でお買い求めいただき、ありがたく、また絵師として誇らしいです。ただ、もしよろしければ一つだけおうかがいした…