四次元くずかご

自分のかたちを知るために、ことばを連ねてみたなにか

警察からは感謝状

こりゃ今日は死ねねえな。 こういうのはタイミングなのだ。また別の機会を待とう。 残念な気持ちはあるけど、それよりも面倒くささが上にくる。懸命になんか喋ってるこのおじさんに、それなりにあたしが死のうとしてた納得のいく理由をでっちあげて、それな…

動植事典 補遺 1

ヤミ【やみ】 古来、真っ黒で大きな鼬の姿で描かれることが多いヤミだが、もちろんその正確な姿は誰にもわからない。光を食う(掃除機が塵を吸い込むように食うというが、これも通説にすぎない)ヤミの輪郭を光学的に捉えることは不可能だ。 ヤミの姿で唯一…

故に人身に宿りて

見なければよかったと思った時には既に目に入っていたわけで時既に遅く、三郎太は立派に伸びた角を握って、頸をすっぱりと切られた牡鹿の頭部を持ち上げた。重い上に臭う、が仕方ない。札は貼っていなかったが、この時期路上にある鹿の頭はまず間違いなく美…

世界を変えるための或る一つの特異点をめぐる探索行(1)

一章 大いなる知と眠れる過去とがファヌスを長きにわたる探索行へ導く1 農家の四男なのでファヌスの未来に希望はない。もう少し若い頃から家を出てどこかの職人に弟子入りでもしていれば、それなりの道が開けていたかもしれないが、ファヌスは年の離れた長…

散在の所

離宮といえども賤しき者を立ち入らせるのはいかがなものかと進言したのは如何にもな見た目の古参の大臣だったが、彼自身もその言葉を王が聞き入れるとは思っておらず、ただ自分の役割を皆に示すためだけの言であることは、その場にいるほとんどの人間が理解…

問と解

問)空間上の任意の2直線について、それが同一平面上にある確率を求めよ。 基本的に僕達は皆、いつもねじれていて、交わることはない。 だからこの状態にはなんの不思議もないのだ。 僕は寝返りをうち、ベッドの右手にある窓のほうへ向き直る。冷たい空気と…

宵前崖上逍遥

高台沿いに延びる道は両側に商店などが立ち並び、此れと言って目を遣るべき風景も見当たらないが、省線の切り通しを跨ぐ橋を渡る時には線路方向へ視界が開け、丹沢からその奥の富士までも一望できる。冬風が帝都の澱んだ空気を海へ押し流し、雑然とした街並…

ya tienen asiento

国境線の上をなぞる尾根歩きは見晴らしも良く足は軽快に進んだが、飾り気のない頂上で尾根道は尽き、私は少々の逡巡の末、左のほうの下りの道を選んだ。しばらく歩くと灌木が周囲に現れ始め、そうかと思ううちに道は深い森へ入った。 もう5日ほど人を見てい…

尋隠者不遇

そんじゃま、そーゆーことで、っつって出てったのが俺の中学の時の同級生と思われる男。思われる、いうんはつまり確証がないからであって、あいつがホンマに吉田くんやったんかを俺はまだ疑ってる。 でももうミッションは始まってて、俺は失踪したあっくんを…

かくて神は身罷られスパイスの芳香だけが残る

暇なので南インド風カレーでも作りながら、神の不在について考えてみましょうか。 まず中華鍋を用意します。“爆”って感じの鉄の本格的なやつは「結局そんな火力、ウチにはないやん」ということで使わぬまま錆びつき、この前捨ててしまったので、形だけが中華…

熱が散り切った夏

海岸沿いに果てしなく延びている道を、老人と子どもが手をつないで歩いている。人二人がやっと並んで歩ける程度の幅のその舗装路はしかし、吹き寄せられた砂に覆われアスファルトが少しも見えなくなっている。 背後の砂地に刻んできた足跡も瞬時に消し去って…

神の来訪

ザリガニ獲りのシゲのところに神が来訪しました。村に神が来たのは4年ぶりです。シゲが言うには、いつものヤッチ沢に向かう途中のフブノのあたりで、突然茂みから姿を現したそうです。 何度聞いても、神の姿についてのシゲの描写は要領を得ません。聞くたび…

再適化 reoptimize

ああ、ずいぶん遅い時間まで起きてしまいました。 空には月が出ているかもしれません。 いや、今日は夜半から雨の予報だったかも。 いずれにせよ私はベランダへ通じるガラス戸を開けたりはしません。花粉が入ってきますからね。 だから月が出ているかどうか…

月光密造のクーデターテープ

慣れてくれば月灯りだけでも十分に歩いていける。それに今日は満月だ。僕が持っているなかで一番頑丈な靴を履いてきたし、ずっと歩いても暑すぎないくらいの重ね着、頭にはタータンチェックのハンチング、完璧だ。 立ち止まって空を見上げる。あの子も月を見…

凍っていた言葉(下)

最初はタクが得意のボケをかましているのかと思ったが、そういや奴とは一緒に酒を飲んだことはなかったなと気づいた。 俺はタクのような学はないが、ここが酒の保管庫だということはわかる。他に何の趣味もない分、酒についてはカネをかけてきたから、目の前…

凍っていた言葉(上)

旧国境を越えて海岸線沿いに北上し、目指す場所がやっと見えてきた。 レンガ造りの倉庫は形を保ったまま斜めに突き刺さるようにして、地面を分厚く覆う灰の中に半ば沈んでいる。間口は幅5m強、奥行きの長さは全貌が見えないので分からないが、沈まず見えてい…

ライフ・イズ・ユージュアル

屋根もないので駅舎というよりただのプラットホームと呼ぶべきこの場所は、普段は日に2本の列車が到着した時でさえも閑散としている。駅のすぐ裏手には夜間照明もあるちょっとしたサッカー場があり、観客席はメインスタンド以外にはないが、このホームがバ…

たどり着けない迷宮

オーケー、私が案内しましょう。と紳士は抑揚のない声で言って、その後になって決まり事を思い出したかのように笑顔を見せる。「ふつうは」 紳士は速過ぎも遅すぎもしない絶妙な速度でわたしの前を歩きながら話し始める。「自分の迷宮にはご自身で到達される…

春は

春は日暮れ時。 やわらかい西陽がきれいな角度で差し込んでくる、故郷の駅のホーム。線路の向こうに見える街の風景は少しずつ変わっていても、陽差しの色は昔から変わらない。否応なしに懐旧に浸される。 発着時刻を告げる電光掲示に、日が長くなったことを…

詰められた正月

コードナンバーなどもなく、ただ名前を聞かれる。そして「お前が予約したのはどの商品か」という質問をされる。それは予約を受けた側で管理する情報ではないのかと面食らうが、価格表を見せられて「どの程度の値段だったか思い出せ」と促され、まぁこれだろ…

消失

「指切りしよう」とあの時言い出せなかったから、だから僕は彼女には、まさに指一本触れていない。 ベランダに通じるサッシを開けると、5倍ほどの音量になった蝉の声と蒸れた熱気が網戸越しにどっと入ってくる。そのあと台所側の小さい窓も開けるけど、なか…

転送(4)【終】

月面居住区で壁を越えて他国民の区域を訪れること自体は難しいことではない。居住区中央のターミナルを一旦経由して訪問したい区域に入ればいい。月面は建前上国境はないことになっているので、入国審査というものが存在しない。壁はあくまで住民の自治によ…

転送(3)

宙港の帰還用ターミナル、旧打ち上げ棟の最上階。 ここから月の居住区を見下ろすのが好きだ。 かつては地球へのシャトルを打ち上げるためのロケットが今より大がかりで、そのロケットに寄り添うような形の、この建造物が使われていたらしい。20年以上前の…

転送(2)

「たまに生きてるヤツが居るから困る」 確かにカネはいい。しかし、たまにこんな風に、自分で手を下さなければいけない時がある。 当たり所によっては、一人の人間の体のどこにこれだけの血液が入っていたのかと思うほどの血が噴き出す。その血を拭くのも俺…

転送(1)

まただ。 またフランス人だ。 クリスマス週間直前でごった返す、帰還用ターミナル2階。シミズの乗るはずだった便だけが理由も無く「欠航」となっている。モニターは数ヶ国語でMF402便の状況を伝えるが、意味は全て同じ「お前らは今日は地球に帰れない…

祈る

自転車で来てた頃の方が近く感じたな。バスを降りながら、大きな鳥居の脇の奥に見える駐輪場に目をやって、毎年のようにそう思う。学生時代を過ごした古都、その中でも有数の歴史ある神社。私は卒業してこの町を離れてからも、年末の恒例行事としてここを訪…

最終出口

腕が伸びきる手前で衝突が起こったので、会心の拳という感触はない。人差し指と中指の第三関節の突起を正しく当てたはいいが、脳震盪を目論んで顎先を狙ったはずが相手も動くためにそこには命中せず、むしろ顔の中心を捉えてしまった。予測したより少し軟ら…

ふりかえる

花粉症の時は、イヤホンの上からマスクをしていた。ウイルスに脅かされる今は、マスクをしてからイヤホンを着ける。マスクを取り外す場面が、そうはないからだ。 ランダムに選ばれたPizzicato Fiveの『キャッチー』という曲が再生される。チョコとか洋服とか…

駅から宿までは一本道のようだった。過度にイラスト化されて縮尺が不明な、駅前の看板に描かれた観光用地図を見て了解する。宿の人が電話で雑にしか場所を説明しなかった理由がわかった。遠いが、迷いようがないのだ。 鉱泉が湧くその宿までは歩いて1時間強…

やさぐれる

「目の前の業務に集中するといいですよ」 決まり文句なのだろうか。同じ言葉をかけてくるのはもう3人めだ。かかりつけ医、先輩社員、そして今回の産業医。 しかし俺は生まれてこの方一度たりとも目の前のことに集中できたことはないのだった。 今の時代では…