四次元くずかご

自分のかたちを知るために、ことばを連ねてみたなにか

『紙の民』(未読)

「墓を造ってるんだとさ」
 今回組まされた相方はよく喋る。サボったり、働きをアピールしすぎたりしないのでやりにくくはないが、どうでもいい話に相槌をうたないといけないことにはうんざりもする。
「いいか、これが俺たちの現場で、これら全体が組み合わさって誰かの墓所になるらしいんだ。俺たちが造ってるのは下から二層目のL字型の…」
 端末から図面を映写しながら、丁寧に説明してくれるが、申し訳ないが何の興味も湧かない。仕事に必要なものはノルマと期限と報酬だけだ。私は私自身をロマンティックな人間だと密かに思っているが、仕事に関してはまるで物語性を求めない。労働において効率以外に求めるべきものがあるだろうか。

 ここに来てもう5年になるが、概ね快適な職場だ。完全委託制で、与えられたノルマさえこなせば仕事をどんなに早く終えても自由というシステムが私に合っているし、業務内容も無駄なことは考えずに済むが過度な集中力を要求はされないという塩梅のもので、大きなストレスを抱えることなく働けている。
 あてがわれた居住区も悪くない住み心地だ。私は何より自室で独りでいる時間の充実こそを重要視しているので、狭さやデザイン性はともかく、その意味では気に入っている。

「早く家に帰って何してんの」
 延々続く相方の話を完全に聞き流していたため、自分への質問だということを飲み込むのに時間がかかり、変な間を空けてしまった。不審そうに覗き込むので、咄嗟に正直に答えてしまう。
「写真を整理している」
 まるでわからんと表情だけで示して先を促すので、理解されるとは思わないが、せいぜい誠実に説明をした。
 私は若い頃から写真を撮るのが好きだった。趣味というほど凝ったわけではなく、なんとなく端末で撮り集めていただけだ。相方もほぼ同世代なので、ここまでは頷きながら聞いている。馬齢を重ね膨大な量となった画像データを、わたしの記憶というエピソードの順に整理し選抜されたデータを紙にプリントアウトしてキャプションをつけてファイリング…、とこの辺りで「なんで」「どうして」と質問で遮られ、鬱陶しいことこの上ない。
「紙が好きなんだ」面倒臭くて理由を全て統一して答えるが、まぁ嘘ではない。
「紙なんて高いだろうに」彼の疑問はもっともで、紙もそうだが印刷機もなかなかの値段だ。機械に凝る趣味はないのだが、家で使える大きさとなるとヴィンテージものを漁るしか方法がなかった。
 生活に必要なだけの金額を除き、私は報酬の全てをこの作業に注ぎ込んでいる。私が自由にできる時間の全ても。

「俺がカネを貯めているのはさ」
やっと相方自身の話に戻ってくれてホッとしていると
「世界の果てを見にいこうと思っているからさ」
 私が彼の話に興味をもつとは意外だった。

 私たちが働く場所は宇宙に浮かぶ巨大な船のような構造体の一部で、あまりにも巨大すぎて一生かけて移動し続けても端から端まですべてを見尽くすことはできないだろう。おそらく全体の1割でも見られたらいい方だ。
 さらにこの「船」は日々建て増し式に拡大しているのだという。詳しくは知らないが、構造物の素材を生み出す一種の生物が存在して、配置と成長をプログラミング管理することで半ば自動的に建造が進むという。
 相方が言うには、この建造は船のあちこちで行われているが、最も大規模なところがこの居住区からかなり離れた座標にあるという。
「そこでは1秒で俺らの1年分の作業の千倍くらいの建造が進むんだと」
「しかしこの座標まで行くにはとんでもないカネがかかるだろう」
 お互いカネの話ばかりしてるなと相方は笑う。感染症や生態系破壊などのリスクだけが大きく、ベネフィットの少ない大規模移動が一般的な行為でなくなって久しい。どうしても移動をしようとすれば巨額のカネがかかるので、移動するのは一部の好事家且つ大金持ちに限られる。
 おそらく私たちが今造っているこの墓に収まるような人間たちだ。

「だからカネ欲しさに、こうやってカネもちの道楽に付き合ってキツい仕事をしている。あんたもそうだろう?」
 私は実は今の仕事をキツいと感じたことはない。そう言うと、こんな奴隷のような仕事なのに?と心底呆れたような顔をされてしまった。
 建造プログラムのリアルタイムデバッグは、自動化された3Dプリンティング作業を目視で確認し、不具合を見つけて最適化し直すという、携わる人間に要求される動作が確かに極めて前近代的ではある。前に言ったように、子供の頃に熱中した模型作りに似たちょうどいい集中力を求められる作業で、私は嫌いではないが、仕事に「人間的な何か」を求める向きには「キツい」のかもしれない。

 相方の言う「世界の果て」に到達するには、各種パスポートの申請・審査や乗車費、車内生活費なども含めた巨額の移動コストがかかるだろう。そこまでしてでも彼は
世界の果てであり、
未来が生まれるところであり、
振り返れば世界全体を一望できる場所でもある、
今までに見たこともない景色に到達したいと言うのだ。
 私には全く理解できないが、そこにある情熱に対しては素直に尊敬と共感を覚える。
ともに仕事をし始めて半年、彼に心を開こうとしてこなかった自分を少し恥じた。

 さらに半年が過ぎた。私の写真整理はゆっくりとだが確実に進んでいる。
整理した写真を、しかも完成前に人に見せることがあるとは思わなかったし、そもそも自室に他人が入ることなどもうないと思っていた。
 おそらく礼儀からだろう、相方は私のファイルを丁寧に一枚一枚確認する。私は手持ち無沙汰で、できるだけゆっくり茶を淹れるなどする。
 やっと見終わってくれた。丁寧に感想を述べてくれて、私は素直に嬉しく、その嬉しいという自分の気持ちに戸惑ったりしていた。
「でもさ」
 記憶に沿った写真の整理なんて、自分の行動履歴と画像データをクラウドに繋げば自動生成でできるのではないか、という当然の疑問を呈される。
「紙にさえこだわらなきゃさ、いやこだわるとしても自動生成後にプリントアウトしちゃえばいいんじゃないの」
 成果物としての紙の集積にこだわりがないわけではない。しかし一番は、成果物よりもこの行為自体なのだ。整理こそに楽しみと喜びを感じていて、さらに言えば実際の過去の行為に正確に沿いたいわけではなく、今の自分の思い出せる記憶に沿うのが誠実だと考えているのだ。
 ということを説明したくなるくらい、私は心を開いていたのだろう。もちろん十全に伝わらない。ただ、ほんの一部でも何かをこの相方と共有できればいい。そんな気持ちでさえあった。私は、ロマンティックなのだ。
 分かったような分からないような表情で相方は言った。
「それがあんたのやり方ってわけだ」

 私は新しいことを覚えられなくなって久しい。初めて見る風景や出会う人などが頭に記憶として留まってくれない。昔のことはそれなりにはっきり覚えているのに、いつからか記憶が更新されなくなったような感じだ。
 この相方の名前ももちろん聞いたはずだが覚えていない。覚えられないのだ。
 仕事に必要な新規の知識は微細にメモすることでしのげるし、この年になれば新たな出会いなどそうはないし、仕事の他に覚えなくてはいけないことは少ないので困ってはいない。
 相方にこのことを告白し、もし今までに失礼があったら謝ると伝えると、彼は意外そうな顔で全くなかったけどと言ってくれた。
 私にとって重要なものは過去にしかないのだ。
 相方は全く逆で、過去のことをどんどん忘れていくという。おそらく彼にとっては、まだ見たことのない自分こそが本当の自分なんだろう。

 出会いから2年後、相方が旅立つ日がきた。彼の名前をしっかりと左の掌にメモして、私は見送りに発着場に向かった。別れ際に気の利いたことも言えない自分が嫌になるが、このような爽快な他人との別れは初めてであると率直に告げると、彼はただ笑顔で応じてくれた。
 仕事場が別になってからも付き合いは続いていて、私は彼が貯めることができたであろう金額もだいたい把握している。片道分ギリギリのカネしか持っていないはずだ。
世界の果てで新しい仕事を探す? いやそれは現実的ではない。各種パスポートがオールグリーンでも、私たちのような階級の人間が移動先で仕事を見つけられるはずがない。
 彼が乗る異節間移動シャトルが動き出し、私は本当に久しぶりに写真を撮った。

 おそらく彼は、世界の果てを見てそこで死ぬつもりなんだろう。

 それが彼の魂の完成のさせ方なのだ。
 そして私には私の完成のさせ方がある。

 私もやり遂げなくてはいけない。

 ようやく全貌が把握でき始めた誰かの巨大な墓を見ながら、私はそう決意する。