四次元くずかご

自分のかたちを知るために、ことばを連ねてみたなにか

煮詰まる

 私がトマトソースを作っていた頃、私のキッチンのコンロはまだ一口で、鍋も古い琺瑯のものがひとつあるだけだった。
 深夜2時。あの頃、その時間帯には冷め切らない熱と何かが始まる予感があって、私は今では感じ取れない可能性を嗅いでいた。とはいえ概念でしかない可能性を現実のキャンバスに描き出す実際的なテクニックを知らなかった私は、自分の部屋で行き場のない焦燥感に圧倒されるだけで、つまるところ狭いキッチンでトマトソースを作るしかなかった。
 私がトマトソースを作っていた頃、私は会社で与えられた仕事をいかに効率的にこなすかだけに注力していた。
 なるべく時間と労力をかけず、求められる最低限の成果に“安全係数”分をプラスした物量の仕事をこなしていた。たまに周囲から熱意のなさを指摘されても、あるふりをして上手く会話をかわした。それがコスト意識というものだと思っていたし、今後果てしなく続く会社員人生において疲弊から身を守る唯一の方法だと信じていた。
 私はまずニンニクの皮を剥いてお尻を切り落とし、半割りにして芽を抜き取る。それを細かく均等なみじん切りにする。大きさにムラがあると、まだ十分に加熱されていないものがあるのに、焦げるものも出てきてしまう。台無しだ。私は注意深くみじん切りにする。
 楊枝で種を綺麗にほじくり出した乾燥唐辛子とニンニクをオリーブオイルを流し込んだ鍋に入れる。ごく弱火。絶対に焦がしてはいけない。ニンニクがゆっくりと静かに薄く黄色みがかっていく間に、玉ねぎをみじん切りにする。これも同様に均等でなくてはならない。
 全ての作業において性急さは禁物である。玉ねぎをじっくりと炒め、トマトもしっかりと形が崩れるまで炒め、長く時間をかけて煮込む。丁寧に濾す。そうすれば、必ず成功する。間違いなく、甘みと酸味が効いて汎用性がある美味しいトマトソースは出来上がる。
 かけた努力に対して、美味しさという成果が必ず報いてくれる。それを自らの五感で確かに感じ取れる。まっとうで正しい法則。単純で美しい世界。それが私にとってのトマトソース作りだった。
 私がトマトソースを作っていた頃、私は精神的にひどく疲弊していた。
 あんなに仕事由来の疲弊から逃れるための手段を念入りに講じていたのに、なぜだろうと不思議に思っていた。あんなに時間を有効に使ってきちんと気晴らしにも時間を割いているのに。あんなに仕事場の人たちとは適切な距離の関係を築いているのに。あんなに休日は意識的に身体を動かすような余暇を過ごしているのに。こんなに正しく自分を取り扱っているのに。
 今は少し分かるが、私は自分が思うより一貫性のない人間だということに気づいていなかった。私は仕事から心理的な距離を取るなら徹底的に取らないといけないと考えていた。感情的に仕事にのめり込んだりしてはいけないと思い込んでいた。
 私がトマトソースを作っていた頃、私は今よりずっと若くて、その分まっすぐで頑迷で純粋で愚かだった。
 私にとって料理というものは、今でも努力を成果として返してくれる美しいものであり続けている。でも今は、夜中にトマトソースを大量に作ってジップロックに小分けして冷凍したりはしない。
 仕事との距離の取り方が上手くなったのか、それもあるかもしれない。でも、おそらく、私は失ってしまったのだ。ある種のナイーブさを。永遠に。