四次元くずかご

自分のかたちを知るために、ことばを連ねてみたなにか

逸れる2

 この前会社を辞めた彼と、書店で鉢合わせた。
 服装や髪型が変わったわけではないのに、どこかカジュアルな雰囲気を漂わせていて、その変容に思わず、おぉ、と口に出してしまう。
 変わったでしょ、よく言われます。我が意を得たり、という反応が小憎らしくて、どうよ無職は、とこちらも憎まれ口で応じる。
「端的に最高ですね」
 そんな表情を隠しもっていたのかと私を驚かせる快活そのものの笑み。私たちはお互いに会計を済ませ、ひとつ下のフロアにあるお蕎麦屋さんに腰を落ち着けた。
 お蕎麦屋さんで呑まない人が僕には信じられない、うんうん、などと言いながら私たちは日曜日の午後3時から酒盛りを始めてしまう。酒肴でたっぷり2時間は呑み、そろそろお蕎麦を注文しようかという段になって彼は、
「いや実際痛感しましたよ、自分の社会性のなさを」
と気持ち良さそうな苦笑いを浮かべながら言った。
 社会性? と訊くと、社会の中で社会から社会的に認められる能力ですかね、と社会という言葉を嘲笑するかのような調子で答える。続きを促すと、
「認められたい気持ちはあります。見も知らぬ人からキャーキャー持て囃されてみたいという虚栄心だってある。でもそれが会社で業績を上げることと結びつかなかった。業績が上がって褒められても嬉しくなかったし、結果が出ずに怒られても何も感じなかった」
 その価値観に乗れない人ってけっこういっぱいいると思うよ、あなただけじゃなく、と言うと彼は、もう少し問題は深刻なんですと言って、
「褒められたい、認められたいという気持ちには、こうすると喜ばれるだろうというこちら側の基準がまずあるじゃないですか。何もせずに偶発的に褒められても嬉しくない、これをした、という自覚があるからこそ認められたと実感できる」
 うんうん、と私は頷く。ここまでは分かる。
「で、僕の基準に、おカネ、がないんですね。昔っからずっと。おカネを儲けることを善い行為と感じられないのかも。儲けるって漢字自体、何かあさましさを感じたりしません?」
 どうだろう、と私は少し考え、そこまでは別に、と答える。
蕎麦猪口と薬味が私たちの前に配置される。私はつゆをほんの少し蕎麦猪口に注いで蕎麦を待つ。
「何にせよ、僕の承認欲求って、おカネとは関係なさそうなんです」
「でも例えばあなたが焼いた陶器を、これこれこの値段で買いたいという人が出てきたら、それは承認欲求も満たしてくれるでしょ」
 彼はもう20年近く、趣味で陶芸を続けている。
「どうでしょうか。金額ではなく、買いたいという人の個人としての評価によると思います。逆に、例えば投機的に値付けされて買われる現代アートの作品の作り手って、金額が高いほど評価されてると感じるものなのでしょうか」
 わからない、でもそうだと思う、と率直に言うと、
「そうですね。現代アートはそういうシステムの上で成り立ってそうですしね。でも僕は評価されるなら、評価する個人としての声を聞きたい。今、個人としての声は聞き取りづらい時代になっている気はしますが」
 そうね、仕事として大きくなるとどうしてもそうなっていくね、私は彼が少し頑固になり過ぎている気がするが、それは今は言わないでおくことにする。
蕎麦がやってきて私たちは歓声をあげる。
 いや、そのうち働きますよ、と彼は蕎麦を手繰る合間に言う。
「おカネが貰えなくなると死ぬので困ります。いや、すんなり死ぬならまだしも、惨めさと不便さと時には苦痛を味わってからの死ですから、それは避けたい。でも、僕が『生まれたからには一度は』得てみたい、到達してみたいと考える真実や普遍といったものは、どうやらおカネとはあまり関係がない」
 おぉ、相変わらずロマンチックだ。私は、その考えだと新しい仕事場を探すのは大変そうだね、と懸念を口にするが、
「いや、大丈夫です。目の前の人に親切にすることだけにフォーカスできる仕事を選べばいいだけですから。それなら僕も仕事に満足できます」
 それは素敵な考えだな、と思い、そんな人が同僚にいたら嬉しいね、と素直な感想を言うと、
「まだしばらくは無職を堪能しますけどね。というわけでご馳走さまでした」
 彼は伝票を私に手渡して、芝居がかったやり方で深々と頭を下げた。