四次元くずかご

自分のかたちを知るために、ことばを連ねてみたなにか

やさぐれる

「目の前の業務に集中するといいですよ」
 決まり文句なのだろうか。同じ言葉をかけてくるのはもう3人めだ。かかりつけ医、先輩社員、そして今回の産業医
 しかし俺は生まれてこの方一度たりとも目の前のことに集中できたことはないのだった。
 今の時代ではなんらかの障害の名前くらいついたりするのかもしれないが、子どもの頃からずっとそうだった。集中せずに意識が拡散することで得られるものもあったし、目の前の子と遊びながら遠くで大人が話してることに耳ざとく反応して「聖徳太子みたいやなぁ」と褒められた経験もあったりして、自分自身はそういう性分だとわりと前向きに受け入れてきた。
 産業医の先生と面談するのは今日で3回目だ。そしておそらく、今日で面談は打ち切りになるだろう。客観的に見て俺の精神には特に大きな問題はないからだ。俺はない問題をあるかのように振る舞ったりしないし、抱えている喪失感については前回までに淡々と事実を述べただけで、もう語るべきことはなくなってしまった。
 それにしても…集中すべきが「業務」って。はは、笑うわ。
 会社における仕事こそ、俺が最も集中できないものなんですけど。
 みんなそんなに仕事好きなんですかね。好きだとしても「目の前の仕事だけやってりゃいいんだよ」なんて言われたら嫌な気持ちにならないのか。俺は大学時代のアルバイトを思い出す。「フジッコのお豆さんのパッケージが延々とベルトコンベア的な機械で送り出されてくるのを観察し続け、100ずつ束にする」という業務。頭の中で機械の正確な速度(フジッコ/毎秒)を算出して悦に入るしかないような陰鬱な孤独。
 そうじゃなくて「お前、集中できるとしたら仕事しかないやろ」と見くびられてたんですかね、もしかして。他の人にはもっと別の「〇〇に集中するといいですよ」と言葉をかけるんだけど、こいつマジで生きがいとか無さそう、と思われたのか。確かにないけど、生きがい。でもこんな俺だって集中できる時はあるのに。トマトソース作りとか。
 感染症対策のビニールシート越しの先生は、少しせわしなく喋る様子が栗鼠のような、眼鏡をかけた小柄な女性だ。こちらに警戒心をもたせないし、的確に質問してくれるし、相槌はスムーズで、必要以上にこちらを褒めてくれる。おそらく有能で信頼される先生なのだろう。「なのだろう」という、このビニールシートを介して向こうを見るのに似た、ワンクッションおいた他人事の評価しかできないのは、すべて俺の側に起因する問題だ。
 冬の昼過ぎの弱く角度のない陽光が窓からさしてくる。俺にとっては「いつものように」目の前の人との会話に集中できずぼぉっとしていると、
「運動はいいですよ」
 知ってます。とは言わずに、ボソボソと週一くらいで自転車に乗っていることを話す。わりと安全な河川敷を、いろんなことを考えながら走っています。とダメ出しされることを予測しつつも正直に言う。
「いえ、頭を空っぽにしないと」
 そんなアスリートみたいなことできるか、とは言わず曖昧に笑う。
 あれですか、皆さん身体動かす時はいつもゾーン入るんですか、すごいですね。俺はそんなふうにスポーツに向き合ったことは一度もないし、できる気もまるでしない。そもそもスポーツでなくても「頭の中が空っぽだ」と感じたことなど一度もない。というか空っぽだったら空っぽ故に自らの空っぽさを感知し得なくないか。
 ずいぶん面倒臭いやつだと自分でも思う。弱さや我儘さは自覚している。産業医の先生は俺を事あるごとに「考え方が優しい」と褒めるが、そう言われるたびに「お前は弱い」と断罪されるように感じた。先生は悪くない。正しい。俺の精神がひ弱なまま幼少期から微塵も成長していないだけだ。
 そしてその弱さは病気や障害のように他者からの助けを求めるべきほどのものではなく、だからこんなふうに人様の手を煩わせている時点で甘えが過ぎるのだ。猛省すべきだろう。内装と言えるものがほぼ皆無の人事部の別室、そもそも俺は何故ここにいるのだろう。口先だけの反省は居場所への違和感に上塗りされて消える。
 先生は何か一般的で社会的な話をしている気がする。俺はもう全く会話に集中できていない。自分の胸のあたりに架空の「うろ」を思い浮かべ、その中を覗きこもうとしている。いろんな職場がある。この会社はしっかりケアしているほうだと思う。先生はそんなようなことを言っている気がする。
 今回で面談を終えようと思いますがよろしいですかと訊かれたので、異存ない旨を伝える。そして俺は考え得る最上のやり方で先生を褒め、全力で感謝の気持ちを表現する。嘘はついていないが、何者かに自動的に喋らされているような感触を味わう。そしてそういう時の方が、何故か思いは先方に伝わるのだ。俺の感謝の気持ちを受け取った先生は感動しているように見えた。
 俺は胸の空洞を眺め回す。
 何をしてても過去は引きずり続けるし、何かの拍子に喪失感は訪れるし、哀しみは心の底にずっと澱んだままだ。
 そして何より、この状態をそのまま維持しておきたいと強く願っているのが俺自身で、だから業務中も自転車漕ぎながらもずっとこの「うろ」に俺の眼差しは向けられているのだ。
 おそらくそれを精神的不健康と言うのだろう。それはその通りかもしれない。でも精神的に健康な自分をイメージできないし、そうあることに価値を感じることもできない。
 痛みに慣れることすら違うと感じる。失ったのではなく失い続けている実感を消したくない。俺はもうすっかり拗れてしまっていて、幼い頃高いところから落として壊れたプラモデルにそうしたように、不可逆な破損を眺めてただただ涙を流すことを人生の基本姿勢にしようと決めている。
 部屋を出る俺に先生が言った。
「この間より、いい表情されていますよ」
 そうですか。だとしたら目の前の喪失に集中できているのかもしれませんね。