四次元くずかご

自分のかたちを知るために、ことばを連ねてみたなにか

 駅から宿までは一本道のようだった。過度にイラスト化されて縮尺が不明な、駅前の看板に描かれた観光用地図を見て了解する。宿の人が電話で雑にしか場所を説明しなかった理由がわかった。遠いが、迷いようがないのだ。
 鉱泉が湧くその宿までは歩いて1時間強と聞いた。バスは「なくなった」とのことだった。路線が廃止されたという意味なのか、もっと別の事情なのかは判別できなかった。とにかく歩く以外はないらしい。
 5分も歩かないうちに道の周囲から建物が消え始める。うっすらと勾配が感じられる程度の登り坂になるが、道はまだ車が余裕をもって離合できる広さがあり、しっかりと舗装されている。道の左右には既に刈り取りが済んだ田んぼが広がっていて見通しがよく、ここが山に四方を囲まれた集落だということが分かる。その中で最も高いと思われる峰は前方に聳え、私はその中腹へと分け入ろうとしているわけだ。
 長い登りを歩くのは億劫ではない。足取りが重いのは宿に待つ(と思われる)人の存在だ。
 「会いたいか」と問われれば、一も二もなく大きく頷く。それはどんな時でも変わりはない。ただ、今この状況で彼女の求めに応じて密会することが健全だと思えないのだ。
 建物は完全に途切れ、駅を中心とする集落から抜けたらしい。と思うと、突如道の右側に店が見える。酒屋であることを示す看板があるが、調味料や加工食品、ちょっとした日用品なども売っているようだ。建物はすっかり古びているが、入り口のサッシの横にあるガチャガチャだけが真新しい。
 あまり深い考えもなく店に入ったことを後悔する。昔はこういう酒屋に古いウイスキー、なんなら特級表示のあるような瓶が、売り物であることを忘れたように置いてあったりしたものだ。あの頃買い漁ったウイスキーはしかし、家の物置の奥で忘れられている。私が死ぬまでに封を開けることはあるのだろうか。
 店に入ってしまった以上何かを買わざるを得ない雰囲気になってしまい、不要ではないがとりたてて今必要ではない安価なものをひとつだけ買ってしまうのは哀しいことだ。哀しいのは買った自分ではもちろんなくてこの手に握られている大して欲しがられていないのに買われた商品だ。
 ペットボトルのお茶でも買えれば良かったのだが、中に入ると意外に品揃えの悪い店だった。乾き物のつまみも微妙な商品しかない。結局あまり好みではない方向性の甘さのチョコ菓子を買ってしまう。私は再び歩き出しながら、可哀想なお菓子を眺める。彼女がそれを仕方なさそうに食べるさまを想像する。お菓子をリュックにしまう。二度とそこから出されることはないと、理由なく確信した。

 道はいつの間にか川に寄り添っていた。前方からの流れはか細いが、水音には存在感がある。上流に向かっていく格好だが、人里を離れるほどにむしろ川幅は広くなっていき、何度か飾り気のない作りの橋を渡って、右岸左岸を行き来しながら遡る。
 もはや田畑もなく、木々と川と道しか見えない。その割に道の舗装はまだしっかりと整えられている。車は一台も通らない。宿に電話した時に車で迎えを寄越してくれたりしないかと、それとなく希望を仄めかしてみたが、その想定すらしていない、という対応だったのを思い出す。何故かずいぶん古い記憶のように思える。
 先ほど降り立った駅は、都心から1時間も電車に乗れば着くのだが、このひと気のなさは一種秘境じみている。ただ景色に野性味を感じないのと、道路の舗装の滑らかさが「秘境」という言葉を躊躇わせる。
 舗装路は宿まで続いているようだ。そこからは林道なのか未舗装になり、その先にちょっとした滝があるらしい。近くに来たなら見てもいいんじゃない、程度のスポットだという。以上全てネットの地図情報による。宿から滝までの距離を調べようとしたところで、ネットの接続が切れる。電波が入らなくなったらしい。
 勾配がきつくなってきた。山道とまでは言えないが、リュックの下の背中に汗をかき始めた。もし宿に着いても電波が回復しなかったら、私は滞在中(だという)彼女を訪ねてきたことを宿の人に伝えなければならないのだろうか。できればそのあたりの事情は宿と共有せず、単なる一人客として宿泊したいのだが。
 疲れはないが、歩くことに飽きてきた。何しろ同じような道がずっと続くのだ。木々に阻まれて見通しも悪く、振り返っても過ぎてきた集落を望めたりもしない。前には道と川と木々、後ろにも道と川と木々。
 私は唐突に、目指す宿に彼女はいないのではないかという思いに取りつかれる。こんなところまで彼女が来ることがあり得るだろうか。歩くのを厭う人ではなかったが、好むわけでもない。中途半端に鄙びたこの場所も、彼女の嗜好からほど遠い。彼女は年頃の女性らしく上質のホスピタリティに対価を支払う意味を正しく理解し、それを楽しんでいた。
 そう言えば彼女の失調に最初に気づいたのも、過度に豪奢な宿泊先への旅行を毎週のように繰り返していたからだった。一種の自傷行為としての散財は自分にも経験があったので、私はその頃から彼女を注意深く観察するようにした。探るまでもなく異変への予兆はそこかしこに顕れていて、私は緩慢に壊れゆく彼女をはっきり認識しながら、しかし結局は何もできなかった。ただ話を聞き共感し、手伝える雑務には手を貸し、無闇に楽観的なキャラを演じ、つまりは心配しているという素振りを隠そうともしなかった。しかしそれらは全て実を結ばなかった。彼女は静かに心を停止して、私たちの前から姿を消した。
 歩き始めて2時間が過ぎ、この道からは二度と抜け出せないという妄想が現実味を帯びてきた時、不意に辺りの様相が変わった。道の両側に木の切り株を模した形のガードレール的な柵が置かれ、周囲の木々は明らかに人の手が入った様子で整然と並んでいる。川面は道からかなり下方を走るようになって視線から消えた。しばらくすると左手に目指す宿が見えてきた。私はその宿に見覚えがあった。
 「お返しをしなければならないので」と彼女はメールでこの宿で待っていることを伝えてきたのだった。それは彼女が消えて以来、半年ぶりの連絡だった。携帯で時間を確認すると15時半で、チェックインできない時間ではない。その携帯の電波はここでも圏外だった。私は宿の前で足を止めず、さらに前方へと歩き続ける。
 宿のすぐ先に大きな物置のような木造の小屋があり、そこで舗装は途切れていた。滝まで10分との小さな看板が足元にあり、私はその道に入っていく。
 この地域の人は異常に健脚なのだろうか。ゆうに20分は歩いて、件の滝にたどり着いた。落差で3mほど、水流も垂直に落ちる形ではなく70度くらいの角度の岩肌を滑るような、小体な滝だ。少し奥にもう一つ滝があるらしい。こちらは女滝という名で、奥が男滝だという。
 特別な感動はないが、空気は清涼で、水音も美しい。さすがに疲れたので滝の手前にある四阿で休むことにした。
 彼女のメールを再確認しようと思うが、圏外なのでログインできない。添付されてきた宿の写真だけを見直して、待ち合わせ場所が正しいことは確認できた。私はこの写真に見覚えがあったのか、それともかつて一度あの宿に来たことがあるのか、記憶は曖昧だった。確か彼女のメールには落ち合う時間の指定などはなかったはずだと必死に記憶を辿る。
 「お礼」というのはおそらく金策についてのことだろう。彼女が消える少し前、私は彼女の金銭的な問題を解決した。大した金額ではないが、それを彼女は気にしているのだ。私は本心から、金銭というものは便宜上世の中で重要な要素のように持て囃されているが本質的にはどうでもいいものなのだ、と彼女に伝え、貸しではないことを強く伝えたつもりだが、受け入れられなかったようだ。
 人里離れた宿での「お礼」という提案に不穏なものを感じて私は彼女の招きに応じるの躊躇った。端的に言うと彼女の肉体を差し出される可能性を感じたのだ。それは彼女なりの心からの礼なのかもしれないし、自傷行為の延長なのかもしれない。単純な親愛の可能性も、手軽な負債の返済法の可能性もある。いずれにしてもぞっとしない。
 「欲しくないのか」と問われれば、簡単には否定できない自分もいる。それがまた、こうして私を宿の前で足踏みさせている。
 腰をあげ、男滝を見にいってみることにした。ほんの数十m先に姿を現した滝は、女滝よりも圧倒的に水量が豊富で落差も大きく、水音も力強い。昔の人はものの強弱や大小をしばしば男女にたとえたが、私の経験では、特に中年に差し掛かると、明らかに男の方が精神的に弱い。迷うし承認されたがるし群れたがるくせに疑心暗鬼になりがちだし。昔はそんなことなかったのだろうか。
 久しぶりに動く者を見た。猿だ。女滝の方に戻ってきたら四阿のベンチを占拠していた。もう休むつもりもないので通り過ぎようとすると、私から目線を離さない。私も荷物を触られたりしたら嫌だなと少し警戒し、猿から目を離さずに歩いていると、突然後方にのけぞるようにジャンプして、そのあとも何度も飛び跳ねながら去っていった。私は軽快な動きを可能にする猿の筋肉について考えた。
 もう一度女滝に目をやる。男滝より繊細で緩やか。単純に肉体的な差について男/女と名付けていたのか、と思い直す。膂力や体格の差は確実にある。それだけの話なのかもしれない。どうも私は精神を肉体の上位に位置づけがちだ。肉体がなければ精神など存在もしないのに。
 さっきの猿の動きを真似て、後方にジャンプしてみる。その後も無駄に飛び跳ねてみる。馬鹿みたいな動き。肉体の精神に対する圧倒的な優位性を通じて、自分の精神が高尚でないことを確認する。そして私は、宿に向かって未舗装の道を走りだす。走ろうとすれば走ることができる身体を確認する。

 鉱泉の宿は閉館していた。休館ではない。先ほど通り過ぎた時は気づかなかったが、すでにかなり前から営業していないようだ。
 では私が電話で話した宿の人は誰だったんだろうか。そもそも、あの会話はいつの記憶だったか。私はやはり一度ここに来たことがあり、その際に宿と話した記憶なのか。
 あるいは私は訪ねるべき宿を間違えているのだろうか。彼女の送ってきた写真を見直す。閉館を告げる看板だけがないが、この場所を写している。目の前の宿は、看板の背後にチェーンでドアハンドルを厳重に縛り付けた両開きの扉がある。
 ひと気はないがまるで古びてもいない宿は、入ることさえできれば中の施設はまだ使えそうにすら見える。

 気配がして見上げると2階の窓から彼女が顔を出している。「お連れ様がお待ちです」とおどけた声で言う。
 しかし彼女の部屋に到達するための入り口が開かない。
 窓に見えているはずの彼女の笑顔がうまく思い出せない。
 彼女のかすれた声も記憶から消えようとしている。

 私の思いだけがここに蟠ったまま、どこにも流れ出せずにいる。