四次元くずかご

自分のかたちを知るために、ことばを連ねてみたなにか

異なる

 私たちの下半期の会合は通常、上海ガニを挟みながら行われる。
 年に2回、私は彼と食事をともにする。私たちはプライベートの外食でたまに奮発することを了承し合える仲であり、そういう人はさほど多くないのでお互いに重宝している。特に秋の会合では私は彼の存在に感謝する。彼はカニを剥くのが上手な上に、その作業が好きなのだ。
 雌雄1匹ずつの蒸されたカニは、今ともに彼の前にあり、丁寧に身を外されていっている。私は黄ニラの炒めものを食べながら、その手つきを見ている。
 でもさ、好意は好意じゃん。人が人を好ましいと思う気持ちに貴賎をつけるのは傲慢だと思うよ、目をカニに向けたまま彼は言う。
 私は最近、親しくない男性から突如(と少なくとも私は感じた)好意を向けられ始め、さらにその男性が私に手前勝手な理想を抱いていることも知らされ、大変嫌な思いをした、という話をしたのだった。
 まぁでも、と彼は目を挙げて、その好意の先にあるもの、その男が期待するものが恐ろしくて怯えたり嫌がったりするのはわかる、と理解を示す。
そんなのセットじゃない、と私は言う。
 どうかな、そこは男女差がある気がするな、少なくとも僕は、出所のわからない好意を向けられること自体は嫌ではないよ。なんで?って訊いちゃうかもしれないけど。たとえ好意の先を向こうが想像してても怖くはない。いざとなったら逃げ切れる自信があるからね。
 例えば、と彼は続けて、同性から理由がよく掴めないまま向けられる好意はどう感じるの? それも怖い?
 怖くないかもしれない、と私は答えて、逆にあなたに好意を向ける男性が同性愛者であなたを逃げ切らせてくれなさそうな力、腕力や権力をもってたらどう、と訊いてみる。彼は考え込む。腕力はどうにか切り抜けられても権力はキツいかもね。
こうして私たちは会うといつも、ちがいについて話す。
 異性としか話せない、そして恋人とは話さないようなことを話す時間を、私は楽しみにしている。彼は自分を「フラットであるように見せかけて、実は男女差を常に意識して行動している隠れ差別主義者」と自称する。私は人は皆ある意味での差別主義者だと思っているので、それを自覚し表明する彼を好ましく思う。
 おぉ、と彼が満足げな声を上げる。するりと綺麗に脚の身が取れたらしい。楽しそう、と言うと、うんめっちゃ楽しい、と微笑む。
 カニのスープがテーブルに運ばれてくる。彼も一旦作業の手を止めてスープを味わう。
 この前読んだ本に、と今度は彼から話し始める。
 人生を線的にだけ捉えるのは良くない、という言説があって、仕事論の本だったから、つまりは学生→社会人→引退みたいな画一的な直線性について、もう少し別の捉え方もあるのではないか、という話だったんだけど、
 私は天井を見上げてスープの滋味にしばしうっとりとした後、彼に向き直って続きを促す。
 これって仕事だけじゃなく何でもそうというか、「今が未来への投資」みたいな考え方一辺倒だとつらくなるじゃん、個人的成長戦略のみの人生って。
 個人的成長戦略、と私は繰り返す。確かに、昨日よりは前に進んでいないといけないという強迫観念はキツいね。
 そう、そもそも人間ってそんなに成長しないし、年とれば弱くなっていくし、だいたい「前に進む」の「前」ってどっちだよという話で。同じところを回ってるような毎日でね。
 円環的人生、と私は言って、でもこれも男女差があるかも、と口にする。
 聡い彼は、あ、と言った後、少し申し訳なさそうな顔になって、でもその感情をうまく覆うようになるべくフラットな表情で、
 子どもか、女性にはそれがあるものね、ある一点において不可逆な時間を生きざるを得ないわけか。
 私は頷く。
 私たちは二人とも子どもはいない。それについて話をしたことはなかったと思う。その話題はそこで終わってしまい、彼はまた別の話を始めた。
 彼が作業を終える。身だけでなく雌のミソも雄のミソもきれいに半分に分けて、それを盛り付けた皿を渡してくれる。
 私のほうが少し身が多くないか、と言うと、いや僕は剥きながら少し食べたりしたから、平等だよ、とちょっと怒ったかのように言う。
 彼のフェアさも一緒に味わうように、私は秋の味覚をありがたくいただく。