四次元くずかご

自分のかたちを知るために、ことばを連ねてみたなにか

解る

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 私が社会人になったばかりの頃、姪はよくうちに泊まりに来ていた。彼女は当時女子高生で、若さと可愛らしさと才気を自覚していて、その使い分けがうまくて、人を小馬鹿にしたような態度なのに愛くるしくて、つまり私はすっかり魅了されていた。
 彼女とは、大学に進学してからも、一流とされる企業に勤め始めてからも、折に触れ一緒に食事したりしていたが、かつてのようにこっちの事情も鑑みず突然泊まりにきたりするようなことはなくなった。常識を身につけどんどん年相応に洗練されていく彼女を見て、私は少しだけ残念な気持ちを味わっていた。
 その姪が、転職したという。前よりお給料が低い会社なのよ、と姉が心配していて、私は彼女に電話をかけた。
 彼女は想像したよりずっと若々しい、高校生の時のような声で言う。
「みんな『頭が良いと思われたい、バカだと思われたくない』と考えてるみたいで、それが変だなーってずうっと感じてたの。わたしはバカだから、まわりからバカだと思われてるほうがしっくりくるし、やりやすいし、変な面倒ごともない」
期待されないほうが仕事が楽だってことでしょ、と意地悪な質問をすると、
「うん、もちろん。ラクしたい」
と悪びれずに認める。
「私も自分は愚かだと思ってるけど、それを他人に敢えて指摘されたら嫌な気持ちになるかな」
と言うと、
「バカにされるのは腹が立つ、という気持ちは分かるよ。わたしも腹立つ時はあるもん。でもそれって『わたしバカじゃないのに!』っていう怒りじゃなくって、『おまえもバカのくせに!』ってムカつきだよ」
 自らの愚かさを認識していない人が他者を愚かだと断じる行為は確かに醜くて不快だ、彼女の言うことは分かる。私も気をつけよう、と冗談めかして言うと、
「叔母さんは大丈夫だよ。ちっともエラそうじゃないもん」
 その言い草に彼女らしさを感じて私はなんだか安心して、その後は他愛もない話をして電話を切った。高校生の時みたいな喋り方だったのが嬉しかった。


 それからしばらくして、彼女を食事に誘った。転職祝いに何を食べたいか聞くと、「うなぎ」と3文字だけの返信があったので、私は奮発した。
 白焼きをつつきながらお重を待っている間、新しい職場はどう、などと彼女が何度も聞かれたであろう質問をしてしまう。
「ふつー」
とわざとぶっきらぼうに言ってから2、3秒後に笑って、ごめんごめん、でも何を聞かれてるか分かんなくて。仕事は仕事だから別に楽しくはないけど、苦しくはないから大丈夫。周りの人はまぁまぁ優しい。
「前の会社みたいに『賢く思われたい』って人ばかりじゃない?」
 あーそのこと、と彼女はすっかり忘れていたようで、
「うん、前の会社ほどはいない。小さい会社だからか、みんなちょっとずつ遠慮がちな感じ」
 また楽するためにバカを演じてるの、と訊くと、彼女は少し怒って、
「あのさー、私は演じてるんじゃなくて本当にバカなんだよ? 卑下とか謙遜とかじゃなくって、他のみんなとおんなじようにバカだって言ってるだけ」
 それで納得する。彼女にとって人間はデフォルトで愚かな存在で、その点においてはほぼ個人差がないと考えているのだ。それはひとつの正しい考え方だ。
 でも、私は好奇心からもう少しだけ彼女を掘り下げたくなる。
「でも、この人にならバカにされても仕方ない、って感じられた人に今まで会ったことはないの?」
「ほんとに賢い人ってこと?」
 そんなの本の中でしか見たことないよ、
と姪は言い切る。それはそうだ。私は深く同意する。