四次元くずかご

自分のかたちを知るために、ことばを連ねてみたなにか

脱会

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 自分が現在置かれている社会的状況を鑑みて、被害者としての立場を確立するため、打算的にあれはマインドコントロールだったと主張するとして、しかし本音ではあのときの自分こそが本来の人生を生きていて、その日々は「現実」に適応するために被害者を装った今に比べて明らかに輝かしく、祝福され、精神的に自由であったということに疑いはなく、かといって(これは打算ではなく)もちろん教団を肯定するわけではなく、ただ自分の状態、ステータスが、これはもう取り繕うことができないほど圧倒的に、教団に帰依していたときのほうが、快適で、希望に満ち、安心で、おそらく「正し」かったのです。というか、そうでなかったとしたら、何のために宗教なんてものがあるのか分からないじゃないですか。
 殺人者集団、そう呼ぶこともできると思いますが、そういう組織の一員であったことについて、もちろん戦慄を覚えたりはします。ただ、たとえばそれは公害の原因を生み出した企業や、天災から自分たちの施設を守りきれずに大きな二次災害を生み出してしまった企業の社員なんかもそう感じるのではないでしょうか。さらに言えば、何らかの形で利潤を追求することは、基本的には誰かしらを出し抜いたり、搾取したり、陥れたりして、不幸にすることが付随的に起こるはずですから、私が今感じるような戦慄は、非常に日常的なもので、日常的でありすぎるがゆえに誰も本気で向き合わないような種類のものではないのでしょうか。
 だとすれば(誤解を恐れずに言うならば)、何故私だけが戦慄を味わい、さらには反省を促されなければならないのでしょう。私が参加していた組織は、人を殺しました。しかし、「組織」というものは基本的に組織外の者達を、少なくとも間接的に、殺しながら存続するものなのではないか。法的妥当性、社会的通念、道徳的見地、そういったものから私及び教団が責められるべきなのは理解しています。ただ、私が属した組織と、この世に溢れる別の組織の、根本的なところでの違いが分からないのです。
 反省していないわけではありません。広汎すぎる一般論に帰すことで、責任をうやむやにしようとしているわけではない。分かりたいだけなのです。

 あなたがたは今ご自分の置かれている場所、所属している組織でもいいですし築き上げた家庭でもいいですが、そこにいるご自分に全面的な「正しさ」を感じていらっしゃいますか? みなさん全員がそうですか? そうだとして、それは永続的に続くことを保証されたものでしょうか?
 私は今、教団を離れたことによって、いわゆる「現実」と向き合っています。いや、向き合うことなんてできていない、単にそこに放り込まれてしまって為す術もなく震えているだけです。もちろん狡猾にも被害者というグループに所属はしていて、そこに一定の安心感はなくはありません。しかし「正しさ」は感じられない。それは断言できます。
 これは私に課せられた罰ということなのでしょうか。
 だとしたら、先程の私の疑問に対する明快な解が与えられない限り(不遜にも)私は不公平だと感じてしまうでしょうし、私のような罰せられるべき理由のない方々でも、私と同様の疎外感を感じることがある(為す術なく震えている人のなんと多いことか)この世界は根本的に不公平であるように見えます。
 みなさん全員が「所属」していることになっている(であろう)この「現実」が正当なものだとはとても思えない。それはみなさんも同じ気持ちなのではないでしょうか。

 また主語が大きくなってしまったようです。
 私はただ率直でありたかったのです。それが多くの人を傷つけたり不愉快にさせたりすることは承知していますが、嘘の反省や改心を表明して(私自身が少し生きやすくなる以上の)意味があるとも思えない。
 だから、率直なお答えがいただきたいのです。私が帰依していた教団と、あなたがたが所属されているそれぞれの組織、そこに本質的な違いはあるのでしょうか。