四次元くずかご

自分のかたちを知るために、ことばを連ねてみたなにか

最終出口

 腕が伸びきる手前で衝突が起こったので、会心の拳という感触はない。人差し指と中指の第三関節の突起を正しく当てたはいいが、脳震盪を目論んで顎先を狙ったはずが相手も動くためにそこには命中せず、むしろ顔の中心を捉えてしまった。予測したより少し軟らかい鼻骨の感触を味わった拳を見るともなく眺めつつ、足元にうずくまる局長が床に垂らす血液の音を聴く。
 意外にも騒ぐ人はおらず、しんとしたオフィスに中年の男の声にならない汚らしい呻きだけが響く。先ほどまでは最初の打撃の後に、より感情を乗せて蹴る/踏むなどの追撃をするつもりでいたが、思ったよりも冷静になってしまった。汚物にこれ以上触れたくないという気持ちも生じていた。
 65点くらいの当てごたえしかなかったが、仮に満点だったとしても、人を殴るというのは気色の悪いものだった。席に戻り、カバンからアルコールウェットティッシュを取り出して右手を丁寧に拭いてからパソコンを立ち上げる。
 起動待ちの間に会社に向かう途中のパン屋で買った海老カツサンドを食べることにする。カレーパンが有名な店なのだが生憎売り切れていた。しかし結果的に大正解。濃すぎないソースがカツの衣を水気で損なわずサクサク感を保ち、そのシャープな食感と海老自体の丸みのある弾む食感との対比が楽しい。
 座った姿勢のまま右手のサンドイッチを落とさないように左足で急所を蹴り上げる。立ち上がったあの男が近づいてきていたのだ。何か言いたそうにしていたが、こちらには聞く気もその義務もない。早く気でも失うか、医務室にでもハケてくれないか。
 短い昼食を終えてまずはメールチェックから業務を再開する。メールベースでやるべき仕事を管理しているが、慣れてしまったやり方ながら、ベストの方法だとも思えない。メール量も増加していて、早晩捌き切れなくなるのも目に見えている。とはいえ
 暴力というフェーズに移行した以上、最早話し合うことなど不可能だし意味がないということが何故理解できないのか。もう消えていたはずの怒りが再び込み上げそうになる。絶対に奪われるわけにはいかないものを侵害されそうになった時に誰にでも担保されている、ある意味では平等な最終出口。その扉は開いてしまった。ということを血と吐瀉物で汚れ切ったカーディガンの男に伝えるつもりは最早ないが、周囲に自らの意思を表明しておくことは有用と考え、このゲロ野郎に言う体で、もはや話し合いの余地がないこととその理由を言葉にする。
 最後は、殴りますね、と言ってから殴ったので半端に防御され、拳の打撃自体よりも殴り倒した衝撃でのダメージの方が大きかったようだ。床に強か後頭部をぶつけ、やっと静かになった。
 もう一度アルコールティッシュで右手を拭き、周囲に騒動の終局を報告し、不快なものを目撃させたことについて謝罪する。足元の生ゴミを指差して「でも、どうするの」と訊く人がいたので、それもそうだと思い、気は進まなかったがカーディガンの襟をつかんで廊下まで引きずっていく。
 三度の使用でアルコールティッシュも底をついた。そういえば人生で初めて人を殴ったのだった(アレが人だとしてだ)。思ったよりも昂ったり罪悪感を感じたりはしないものだ。少しだけ感じる嫌悪感、穢れのイメージは、相手に肉体的接触をしたことに由来するのか、自分が暴力のステージに上がってしまったことによるものなのか。
 隣席の女性がウェットティッシュを分けてくれたので、マクベス夫人の真似をしておどけてみせる。まるでウケないのですぐにやめ、親切への礼を言ってから自分の仕事の引き継ぎについて相談をもちかける。
 担当していた仕事をどう割り振って引き継いでもらうかは最終的には上長が決めることだが、彼女とともに進めていたこの案件は、一旦彼女一人に任せることになるだろう。クライアントが大変面倒くさい人格の持ち主なので、本当は複数の担当者を立てることが、関わる人間すべての精神衛生のために望ましいのだが。
 途中で急に仕事を降りることになる迷惑を詫びると、彼女は「あの状況ではしかたない」と言ってくれた。どこまで本心でそう思ってくれているかは分からないが、ありがたい言葉だ。
 その言葉を皮切りに、部署の人たちが代わるがわる声をかけてくれ始めた。
 総じて私に好意的で、暴力という手段にも一定の理解を示してくれた。廊下に放置したあの廃棄物が、皆から好かれてはいなかったという事実はあったにせよ、この反応は少し意外だった。しかし醜い寸劇を目撃させてしまったことと、フロアを奴の体液などで汚染してしまったことについては真摯に反省しなければならない。
 私が急にチームから抜けることになるのは迷惑だろうが、それについては正直なところ、そこまで大きな罪悪感はない。結果としてこのような人権の蹂躙が行われ、私が反撃を余儀なくされたのは、会社の人員配置に起因するところが大きいのは間違いないからだ。根本的な責任は会社組織自体にある。迷惑をかける周囲の一人一人には頭を下げたくなるが、どちらかというと謝罪というより大変だねという共感の気持ちのほうが大きい。
 まだ正式には社員であり、対外的にもアナウンスできることではないので、粛々と業務を遂行しつつ、合理的でストレスのない引き継ぎのデザインを模索する。
 この時代において、電話というのはもはや粗暴な連絡方法だとすら感じるが、人事などはすぐに直電、そして呼び出して対面、という方法をとろうとする。忙しいので用がある方が来い、という意味のことを口にしてみると、意外とすんなり向こうが出向くことになった。言ってみるものだなという思いと、やはり暴力はさまざまな関係性を決定的に変えるのだなという思いが混じる。
 私たちがずっと会社に必要性を訴えても実現されないため、この部署に打ち合わせスペースはありません。ここで立ったまま話をしましょう。人事部長と総務局長、人事部の部員らしき女性にそう提案する。戸惑いながらも受け入れられて、私は周囲の人にもはっきりと聞こえる声で経緯を説明する。
 もちろん私の視点での経緯説明なので、私の感情がベースになっています。これから様々な人にも聞き取りをされていくかと思いますので、それらを複合して状況を把握いただければ。と説明を締め括ると、私に言うべきことはなくなった。死ぬかもしれなかったのだ、とか、法を犯しているんだ、とか、当たり前過ぎる指摘には、毎度判で押したように、暴力とはそういうものですから、とだけ答える。
 ただ、「殴るほどのことかね」という問いかけには、しっかりと反論させてもらった。
 それは私が決めることです。私のモラルは私が育ててきたもので、誰かが矯正できるものではありません。ここからはNG、という線を引くのは私です。もちろん、これ以上は許せないという警告は何度もしました。その上で、その線を侵犯してくるのであれば、
 私は言葉を切って、一旦迫り上がる感情を押し殺すため深呼吸した。
 撃つしかないんです。
 私の言葉は彼らを納得させられなかった。おそらく、私の感情が理解できないのではなく、行動の非合理性が理解できないのだろう。私だって損得勘定で言えば大損で、大変面倒臭い道を選んでしまったとは思っている。ただ、すべてをコスト感覚で計算して行動するほどには私は死んでいなかった。それだけのことなんだと思う。