四次元くずかご

自分のかたちを知るために、ことばを連ねてみたなにか

拗ねる

「それって、褒めてるつもりですか」
 普段あまり見せることのない彼の強い口調に驚いて、私は何か変なことを言ったかしらと反芻してみる。彼の後輩への対応を評価しただけのつもりだけど。
「『優しい』と評されるたびに、『弱い』と言われてるように感じます。僕は確かにほかの人たちに比べて弱くて脆く、それを自覚していますが、敢えて指摘されて嬉しいわけではありません」
と言って、それきり黙ってしまう。
 結果的に傷つけたなら謝罪する、あなたの優しさは魅力だとは感じている、という点だけ伝えて、この面談を終えた。
 面談をした会議室から部署へと戻りしな、彼は少し落ち着いたらしく、
「ごめんなさい。過剰な反応でした」
と、とても率直な反省を表してくれ、私はそれを好ましく感じる。
 確かに彼は仕事において、不要となったものをなかなか切り捨てることができなかったり、決断を先延ばしにしがちだったりと、摩擦を恐れる弱さを見せる時がある。
 同僚や後輩には優しいが、そのくせ局長とか上のほうの上司にはガンガン噛みついたりして鼻白まれている。ただそれも、彼が「上からは嫌われても傷つかない」と考えているだけで、強さを示すエピソードではない。
 そういう人がいてもいいと私は思うし、彼はそのパーソナリティを活かして私の部署で一定の役割を果たしてくれていて、それは彼自身自覚していたと思う。だから彼が弱さを指摘されて(したつもりはないけれど)傷つくのに実は少し驚いた。


 その面談の日からしばらく経って、私は彼とあるバーで偶然会った。あまり上等とはいえないお酒とおつまみが供される、時間だけが長い飲み会を終えて二次会からはうまく逃れ、私は一日の最後に一杯だけ美味しいハードリカーを口にしたいと考えた。
 お気に入りのそのお店のカウンターに彼の姿を見つけ、入るのを一瞬躊躇ったけれど、彼が店のドア越しに私を見つけて手を振ったので、素直に彼の隣に座ることにした。
 彼は北ハイランドのモルトウイスキーを飲んでいた。3杯目だという。その蒸留所は私も好きと話しかけて、しばらくはウイスキースコットランドの話で盛り上がる。好きなことについて話している時の人の表情は、どんな時であれ私は美しいと思っていて、杯を重ねてしまう。
「僕は」
 彼はしばらく続いていた沈黙を破り、3杯目に選んだカルバドスの香りに集中していた私の不意をつく。
「単純に弱さを普遍的なものとして了承し合いたいというだけなんです」
こういうのって弱々しすぎて軽蔑しますか、と聞かれて私は否定する。
「お互いの弱さを認め合う世界は過ごしやすいと思うんだけど、あ、そう言っても、相手を安心/油断させるコミュニケーションスキルとしての『自分の弱み見せ』じゃなくて」
 わかるよ、と私は言う。そういうスキルってちょっと厭らしいよね。
「醜いです。酔った上での失敗を殊更に言いふらしたりね。そういうんじゃなく、誰しももっているものとして弱さや愚かさを認められればねぇ」
 少し呂律が怪しくなっているが、私もたぶん同じような状態だろう。
「まぁねぇ。でもみんな強く賢い人だと思われたいだろうしねぇ」
「自分たちで自分たちを生きづらくしているようなもんですよ、それ」
「でもさ、人類の進歩にはそういう虚勢が必要なんじゃないの」
 彼は「しんぽ」と口にしながら、私のグラスの前に置かれている1950年代のカルバドスの瓶を指差して、
「今後人類はこれより美味しいりんごのブランデーをつくれますかね」
と言った。私は、それは難しいかもしれない、と思った。