四次元くずかご

自分のかたちを知るために、ことばを連ねてみたなにか

眺める

 映画の趣味は全く合いませんでしたよ。
 彼女は薄笑いを浮かべながら私に報告する。他人を寄せ付けない冷たさを感じさせながら、ある種の人間を強烈に惹きつけて止まない微笑。その先に到達できないことを予感させながらも、もしかしたら自分だけはより深く彼女を知れるのではと勘違いさせる罠のような。私も彼女の笑みにやられている一人だ。
 休日を彼と過ごした顛末を出来事ベースでは把握できたが、彼女の彼に対する感情が全く掴み取れなかったので、私は自分の鈍さと下世話さを全く隠さずに訊く。で、どうだったの。
 彼女はもちろん質問の意図を十全に理解していて、人差し指を顎につけながら目線を斜め上に遣る。そして、慎重な口調でこう答えた。
 いいな、と思った点が一つあって、さっきも言ったみたいに映画を見た後に食事に行ったわけですが、そこで食後のコーヒーを飲んでる時に、初めて映画のことを話題にしたんです。
 私は目だけ動かして、さらなる説明を乞う。
 移動中や食事中はつまらない話題ばかりで正直話は弾まなかったわけですけど、それで映画の感想も観ているところが違うっていうか、バカだなとは思わないけど全然趣味は合わなくて、
 客観的な口調でデートを振り返っていた彼女は、そこで少し間を置いて、
 でも、話し始めるタイミングが、私にとって理想的だったんです。
 映画でもお芝居でも、本当にすごいものを観た時、自分の心が大きく動かされた時って、すぐには言語化できないし、したくもないじゃないですか。じっくり時間をかけて頭の中で反芻したいし、すぐ言葉にしちゃうと紋切型の凡庸で不正確なものに押し込めてしまうし。そうするとその凡庸な言葉が支配的になってしまって、本来の自分の感動を見失ってしまうこともありますよね。
 私は大きく頷く。彼も時間をかけたい派だったんだ、と訊くと、
 それは分かりませんけど、確かめてないんで、と前置きして、でもコーヒーが運ばれてきて彼が映画のパンフレットを取り出して、あるシーンについて私に話し始めた時、私は自分のために誂えた椅子に座ったようなフィット感を味わいました。それは確かです。
 そう言っている彼女はしかし、非常に冷静でなんの情熱も感じさせない表情をしている。そういうことで恋は始まるのではないかという私のあけすけな問いかけにも眉一つ動かさず、そんなことはないんじゃないですか、とつれない。
 なんとなく目が合って、お互いに逸らして、でももう一度目を向けたらまた目が合っちゃう、とかそんな感じのどうでもいいことの方がよっぽど恋愛の始まりって感じがしますよ。私はずいぶん少女漫画的な世界観だなと思うけど、口にはしない。まぁまた食事でもいってみなよ、などと言って話を終える。

 彼のほうは彼のほうですっかり彼女にやられてる様子なのに、煮え切らない。いや僕はデートを盛り上げることもできなかったんで、と正しく自覚していてそれゆえ傷ついているようだった。
 私も彼女のファン歴は長いので、彼女に惹かれハマっていく気持ちは理解できる。彼は彼女を相手にするにはちょっと善良すぎるかなとも思うが、二人とも別種の不器用さがあるので、傍目から見物して楽しませてくれそうな二人ではある。
 そう伝えると、下衆過ぎて言葉もないです、と呆れながら、残念ながら期待に応えられそうにはないですね、と諦めをにじませる。
 確かに僕は彼女に惹かれています。彼女は自分の魅力を小出しにするのが上手い、だからどんどん知りたくなってしまう、そして気づいたらどっぷりと好きになっている。うんうん、と私は頷く。
 でもその手つきがあまりにも見事で、ちょっと怖さも感じるんです。
 彼女はそんな計算高くないよ、だいたいあなた失うものなんてないでしょ、当たって砕けてみればいいじゃん、と無責任に煽ると、
 先輩はこういうときだけは男に男らしさを要求したりしますよね、普段仕事ではそういう人を嫌うくせに。だからウチの部署には「男らしく当たって砕ける」男性なんていませんよ。先輩はそんな人と一緒に働けないんだから。
 あなたの野次馬根性のためだけにジェンダーロールを押し付けないでください、と言われて私はぐうの音も出ないが、こっそりとまだこの二人で楽しめそうだと確信している。