四次元くずかご

自分のかたちを知るために、ことばを連ねてみたなにか

神の来訪


 ザリガニ獲りのシゲのところに神が来訪しました。村に神が来たのは4年ぶりです。シゲが言うには、いつものヤッチ沢に向かう途中のフブノのあたりで、突然茂みから姿を現したそうです。
 何度聞いても、神の姿についてのシゲの描写は要領を得ません。聞くたびに違うことを言っているのですが、そう指摘するとシゲは「俺は一貫して同じことを言ってる」とムキになります。ツノやキバがあったりなかったり、人型だったり獣のようだったり、形があったりオーラの塊だったり、聞いてるほうからすれば矛盾だらけで、わたしたちはいつも顔を見合わせてしまいます。ただ、同じ一日のうちであれば彼は同じように神の姿を表現していたように思います。
 というわけでその外見についてはよくわかりませんが、いずれにせよシゲは見た瞬間にそれが神だと確信したそうです。わたしたちもシゲが見間違いをしたとは思っていません。なぜなら今既にシゲは浮遊を始めているからです。

 邂逅から2週間が経って、シゲは普段は子どもの腰くらいの高さの位置に浮いています。だいたいはあぐらの姿勢で。たまに寝ていて風に流されている時などは、村人が地面に落としてやります。何故だか他人が触れると、浮遊する力は急に失われるようです。
 シゲ自身が歩きたい時は、意識的に丹田に力を入れると地面に降り立てるそうですが、それも日に日に難しくなってるとシゲは言います。確かにシゲは浮遊する高度を少しずつ上昇させているようです。
 その姿は、神様が天国へと引っ張りあげようとしている、というよりは、月の軌道が少しずつ地球から離れていくような、どちらかというと物理法則に似た散文的な状況に、わたしには見えました。

 4年前のナツの時、彼女は逆に地面に沈んでゆきました。沈むといっても足が土にめり込んでいくというわけではなく、接地している部分から、身体と地面が同化してゆくのです。
 なので彼女は神を見た場所、ハンバラの真ん中で動けなくなっていました。最初にナツを見つけた村人は、既にくるぶしのあたりまで彼女の足は「沈んで」いたと言います。
 動けないし、立ちっぱなしだしでナツは辛かったと思いますが、5人姉妹の長女らしい、責任感が強く気丈な子で、弱音を一切吐かずに、ご飯や水をもって来てくれる家族や友達に礼ばかり言っていました。
 ナツが完全に地中に消えるまで、ひと月かからなかったと思います。沈んでいくにつれて、彼女はどんどん晴れやかな表情になっていったのを覚えています。わたしはその様子を見て、彼女は地球に埋まるわけでも飲み込まれるわけでもなく、ただ彼女の形のまま地球を透過していくのだと感じました。彼女を構成する原子と地球のそれとが、ちょうどうまい具合に網目が合って、彼女は地球をすり抜けてゆくのだと。

 わたしはたぶん、沈み始めてからのナツと、一番たくさん話した村人だと思います。宵告げの鳥が啼いて皆が寝静まる頃、毎晩のようにハンバラを訪れ、夜通しナツと二人きりでいろいろな話をしました。
 不思議とナツは沈み始めてからは眠ることがありませんでした。そしてそれまでよりもずっと素直に思いを吐露してくれたように思います。
 彼女はこの村の暮らしに飽いていました。アマビを刈り取りニエの工場へ運び、朝夕のご飯の支度をして妹たちの世話をする。そして空いた時間に先祖が遺した書物を読む。
 書物を読むのは楽しかったそうで、彼女は無駄を省いてするべきことをどんどん効率化し、育ってきたすぐ下の妹もうまく使役し、空き時間を増やすことに熱中しました。そしてその効率化が飽和状態に達したとき、すべてが虚しくなって心が死んだと言います。

「心が死んで」からの彼女は、それまでになかった危うさが加わり、おそろしいほどの美しさを身体中から放出していて、わたしは正直それに酔っていました。わたしはなにかと理由をつけて彼女に近づき、話しかけました。村の男たちが皆そうしたように。
 そして彼女は神に出会いました。
 村の男たちは地面と同化してゆくナツへの興味を失っていったように思いますが、わたしは違いました。沈み始めてからのナツのことばが、ナツ自身の姿よりもっと輝いていたからです。ああ、わたしはナツのことばが好きだったのだ、と気づきました。そして夜ごとナツの元に通うようになったのです。
 歌うように自分のことを率直に語るナツのことばを、わたしはたまに質問を挟んだりしながら聴き続けました。うっかりすると自分のことも語りたくなる衝動を抑えるのには苦労しました。そんなことでこの美しい時間を無駄にするわけにはいきません。
 彼女はわたしには何の興味もなかったと思います。たぶん、鏡にしゃべるのと同じような気持ちでことばを紡いでいたのではないでしょうか。
 胸まで沈んでからは早かったです。その夜が明ける前に彼女は去りました。最後のことばは聞き取りづらかったのですが「おかげさまで」と言っていた気がします。彼女らしい、こんなわたしにさえも気を遣ってくれたことばだったのでしょうか。
 あるいは神へと投げかけたことばだったのか。

 1ヵ月経っても、シゲはまだ浮遊しています。
 妻に手を繋いでもらいながら仕事したり、不便そうではありますが相変わらずのお気楽ぶりを発揮して、わたしたちともよく酒を飲んでいます。大人の目の高さくらいまで上昇してしまっているので、迂闊に触ると落ちた時のダメージが大きいらしく、それには気をつけています。
 シゲは毎日のように神を見た時の話を得意げに聞かせています。最近は村の外からも聞きにくる人間がいるようです。相変わらず神の描写は日によって違いますが、語り口自体はどんどん上達し、滑らかな口ぶりで自らに起きた奇跡を話し聞かせています。もはやそれは、一つの完成した見せ物のようでした。
 わたしは正直、ナツの変容に比べてシゲのそれは醜いと感じていましたが、もちろんそれを口にすることはありませんでした。
 ナツには意志の力があり、神の助けを少しだけ借りてこの世界から脱け出したわけですが、シゲは執着はあれど意志はまるでなく、神から与えられた機会をうまく活かせていないように見えたのです。でも、それを指摘して何の意味があるでしょうか。

 シゲの話を聞きにきた旅人を、ちょっとした成り行きでうちに泊めることになりました。
 村では皆がそうするように、ありあわせの酒と肴で接待をしました。とても話しやすい若者で、わたしはうっかり酔ってしまい、思わず素直に今のシゲへの思いを語ってしまいました。
「ある町のしきたりを、別の町に持ち込んではいけません。「町」を「国」や「横丁」、あるいは「家族」「個人」に置き換えても同じことです。それだけが唯一にして絶対の、旅人が守るべきルールなのです。」
と彼は言いました。
 わたしは彼のことばに直感的な反発を感じましたが、それは的確な指摘であることの証左にすぎません。わたしは旅人ではありませんが、確かにシゲに違和感を感じても、それを表明する権利などはない、それはその通りです。
 わたしは口が滑ったことを素直に認め、不快な思いをさせたなら謝罪したいと言いましたが、彼は意外なことばを続けました。
「あなたが旅人になろうとするのであれば、あなた自身を空っぽにしなければなりません。執着をことばとして吐き出してしまうといいでしょう。」

 わたしは旅人になろうと考えたことはありません。今でもそうは考えていません。
でも彼のことばはストンと胃の腑に落ちました。
 わたしがわたしの執着をすべて外部化できたら、わたしもナツやシゲのようになれるのかもしれない。

 そうしてわたしはことばを紡ぎ始めました。
 そうすることで、やがてわたし自身をすっかり空っぽの状態にできるのでしょうか。
 まだわたしの中にはいろいろなものが居ます。ナツも居ます。
 シゲはまだ大人の手の届く高さにいます。その高さで安定してしまったようにも見えます。
 村にはまた西風が吹き始め、もう見飽きた春が訪れようとしています。
 わたしは果ての見えない作業を続けています。
 神の来訪を受けるために。
 あるいは、神としてどこかへ来訪するために。