四次元くずかご

自分のかたちを知るために、ことばを連ねてみたなにか

熱が散り切った夏

 海岸沿いに果てしなく延びている道を、老人と子どもが手をつないで歩いている。人二人がやっと並んで歩ける程度の幅のその舗装路はしかし、吹き寄せられた砂に覆われアスファルトが少しも見えなくなっている。
 背後の砂地に刻んできた足跡も瞬時に消し去ってしまいそうな強烈な海風が時折吹き付けると、二人は身体を縮こまらせてそれが過ぎ去るのを待つ。そしてまた、与えられた苦役を淡々とこなす罪人達のように歩き始める。
 海側には、腰ほどの高さの防潮堤があるが、波飛沫はしばしば簡単に乗り越えてきて、彼らの髪の毛や僅かに露出している肌にベタつく潮の感触を植え付けてゆく。
空は灰色で、海は荒れ、高く位置する太陽から弱々しい光が降り注ぐ、いつもと変わらぬ夏が来ていた。
 秋から春は寝ぐらから出ることを許されない人間たちが、ほんの短い間だけ弱い陽光の下を歩ける季節。
「おじいちゃん、あの大きなお花みたいなのは何?」
 陸側に道に沿って並び立つ白く巨大な物体を指して子どもが尋ねる。
「あれは風車といって、風を受けて回るように造られた昔の建物だ」
 しかしてんで勝手な方向を向いて無数に並び立つ風車は、一つたりとて微動だにしていない。風はそれらの間を空しく通り抜けてゆく。
「風があの細い花びらを回すと、彼らはそれを別の形の力に変えることができた」
 ふうん、と頷いた子どもはしかし、すでに興味を失ったようだ。靴を脱いで、中に入ってしまった砂を出す作業に熱中している。
老人は子どもが靴を履き直すのを待って再び彼の手を取り、この星がまだ熱を放っていた頃の残骸たちを横目に歩いてゆく。

 老人はその時代を知っている。
 人間がこの星の地表を覆い尽くすほど殖え、食い、遊び、励んでいた頃を。
 地球上のほとんどの場所で、一年中なんの装備もなく屋外での活動が許されていた頃を。
 その人間たちを養うため楽しませるために、膨大な力が必要とされていた時代を。
「知ってるかい。あの風車がつくった力は、貯めておくということができなかったんだ。だからつくった分だけその日のうちに使い切らないといけなかった。ママがたまに作る生ものを使ったご飯と一緒だ」
 老人は子どもが聞いてはいないことを知っていながら続ける。
「でも昔は、その力を使い切れたんだ。どころか足りないことさえあった」
 子どもは退屈して走り出す。老人はそれを目で追う。子どもの前に延びる道の先には、やはり人影などまるで見えない。

 子どもが転ぶ。
 少々怪我をしたかもしれないが、あの転びかたなら大した傷ではないだろう。老人は慌てず、緩慢な足取りで前進し、子どもとの距離を縮めてゆく。
 もし泣いていたら。面倒だからいつものように「海に投げ捨てる」と脅かすことにしよう。まだあの子は小さいから、それが一種の福音だということに気づいていない。ちゃんと死に怯えて大人しくなるだろう。

 老人は後方からの突風にあおられる。
 しばらくの間、身体を強張らせてやり過ごす。懐にしまっていた焼き石を布でくるんだものを取り出し、冷え切った頬に当てる。
 わずかに残っていた熱が、老人の滞りがちの血流に少しばかりの活力を与える。
老人は熱が有り余っていた頃を思う。
 人間の営為や、それを支えるための力が、最後には熱に変換されて散っていったあの頃。その放熱を抑制しようという無駄な取り組みにさえも熱を上げていたあの頃。

 子どもは起きあがろうとしない。
 おおかた地面に虫でも見つけて、その観察に熱中しているんだろう。さっきから身体を少しも動かさない。
 老人は思う。
 人類というものは、この星の春に地中から這い出してきた虫だ。暑い季節にもぞもぞと元気に動き回り、秋に多くは死に絶え、そして今、土に潜って冬をやり過ごそうとしている。
 どんどん冷たくなるこの星で次の冬こそは越せないのではないかという怯えと微かな期待を常に感じながら。

 そして曇天を仰ぎ、熱を失ったのはこの太陽ではなく、人類のほうだったのではないかという、郷愁がもたらす誤認に浸ってしまうのだった。