四次元くずかご

自分のかたちを知るために、ことばを連ねてみたなにか

うせもの

ホテルの敷地内にある庭園には宿泊客もしくはレストランなどの利用者しか入れないということになっていたが、ラウンジもカフェも満席だったため、大した罪悪感もなく規約を無視して庭園に侵入する。 敷地の南側を流れる川沿いの急斜面を生かした、大きな高低…

Re:立止る

10年ぶりに会った大学の同級生は、変わってなかった。相変わらず率直で、要らぬ気遣いがなく、何より美味しいものを美味しそうに食べる。僕は彼女の前だといつも油断して、自分のことばかり喋ってしまう。そして次の日に反省する。このルーチンも10年前と変…

『姥捨』考

目の前の草むらで、子どもの手のひらのような平らな葉たちが、不規則に一枚ずつ身を沈めては跳ね戻る。現代音楽を奏でる鍵盤のようにランダムな上下動。頭上に広がる木の枝から時折落ちる雫が葉を叩いているのだ。 見上げると空は木々に完全に覆い尽くされて…

嵌る

同期の集まりがあって、よく見る顔も10年ぶりくらいの顔も揃う10名弱の食事会だったのだけれど、皆それぞれ年相応に後輩や部下がいて、指導や育成について愚痴を言い合っていた。私は指導する側の人間としてその話題に積極的に参加するような器も熱量もない…

Φ

私たちはここでこうして死んでいくの。 完全には同意できない、と僕は言う。彼女は視線を一段階強くして、僕の続く言葉を待つ。少し時間が経つ。根負けしたように、まだ分からないよ、とだけ僕は言って、朝の光を部屋に招き入れようとカーテンを開ける。十月…

立止る

彼が取り出した端末を見て、思わず「おぉ」と小さく声に出してしまう。 それをしっかり聞き漏らさず、彼は前より少し痩せた顔で私に笑いかけながら手にした端末をぶらぶらさせて「そう、まだガラケー」と言う。 10年ぶりに訪れた古都は、当時学生だった私が…

眺める

映画の趣味は全く合いませんでしたよ。 彼女は薄笑いを浮かべながら私に報告する。他人を寄せ付けない冷たさを感じさせながら、ある種の人間を強烈に惹きつけて止まない微笑。その先に到達できないことを予感させながらも、もしかしたら自分だけはより深く彼…

諮る

親指と中指の指先の間を隔てる距離だけに集中して、一種艶めかしいほどなめらかな土を指で挟み、そっと内外の表面をつたうように右手を下方から上方へと動かす。左手は右手の手首をがっちり支え、それ以外の身体の部分も完全に凝固させるようなイメージで、…

居残る

え、泣くんですか、と驚かれて私は逆に訊き返す。泣かないんですか。 私が昨夜、好きなアーティストの新譜(という言葉は一応通じた)を聴いて泣いたという話だった。私としては「泣いた」ことではなく、「新譜で」というところがこのトピックの肝のつもりで…

焦がれる

恋愛脳。呆れた様子を隠さず彼が私を評する。 得意先を接待する食事会を終えて相手方を見送った後、自社の人間がお互いを労ってから解散する段に、彼を捕まえてバーに誘った。お酒の趣味とそれにかけていいと考える金額が合う人はなかなかいないので私は彼を…

隔てる

よく見てるねぇ。 彼は心底嫌そうな表情を敢えてつくりながら、しかし隠せない苦笑いも見せて私に答えた。 コの字形の座席に着いて行われた会議で、彼は私の真向かいに座っていた。会議の後、移動しながらかつて同じ部署にいて親しかった彼に声をかけて、私…

拵える

美しい横顔だ、と私は思う。 隣に座る彼女はずっとカウンターの向こうを凝視している。料理人の動きをつぶさに観察しているのだ。時折、あぁ、という形に口だけ動かして得心していたり、目を見開いて驚いたりしている。 私は邪魔するのは良くないと思い、彼…

蔓延る

セフレってどう思う? と聞かれて、文脈から切り離されたある一単語について私は感情をもったりしません、と正直に答えてみる。いい加減うんざりしていたのだ。それをもう隠すつもりがなくなっていた。 目の前の私たちより5つだかそのくらい上の先輩社員2…

留める

頭が疲弊し尽くしてしまった。少し厄介ごとを抱えてしまい、悪い頭を無理矢理使う日々が一月ほど続き、その期間は慣性のようなものが作用して疲弊の抵抗があっても私の精神は動き続けてくれていたのだが、一定の解決を見た途端に動きは止まった。今日どうや…

異なる

私たちの下半期の会合は通常、上海ガニを挟みながら行われる。 年に2回、私は彼と食事をともにする。私たちはプライベートの外食でたまに奮発することを了承し合える仲であり、そういう人はさほど多くないのでお互いに重宝している。特に秋の会合では私は彼…

憤る

「わたしは人を見た目で判断したことはない」と宣う奴はただのバカですが、「わたしは人を見た目で判断しないよう心がけている」という表明にはもう少し混み入った愚かさがあると思うんですよね。 彼は怒っているようだった。声を荒らげたりはしていない。冷…

経巡る

世界でいちばん殺風景な海辺に行きたい。 なにそれ。運転席の友人は前を見たまま言う。昔読んだ小説にあったの。助手席の私は答える。 そういうんじゃなくてさ、と彼女は前のトレーラーを抜くために滑らかに追い越し車線に移動する。車は少し加速し、私は緊…

逸れる2

この前会社を辞めた彼と、書店で鉢合わせた。 服装や髪型が変わったわけではないのに、どこかカジュアルな雰囲気を漂わせていて、その変容に思わず、おぉ、と口に出してしまう。 変わったでしょ、よく言われます。我が意を得たり、という反応が小憎らしくて…

煮詰まる

私がトマトソースを作っていた頃、私のキッチンのコンロはまだ一口で、鍋も古い琺瑯のものがひとつあるだけだった。 深夜2時。あの頃、その時間帯には冷め切らない熱と何かが始まる予感があって、私は今では感じ取れない可能性を嗅いでいた。とはいえ概念で…

遜る

飲み放題で時間が決まっているからか、料理の出てくるペースが尋常じゃなく速い。部署全体、といっても15人弱が一堂に会し長いテーブルを挟んで座る懇親会。彼はオイル系のパスタらしきものがのった大皿を店員さんから片手で受け取りながら、もう一方の手で…

戒める

ここは間違いない店なんだけどな、と私は定番料理のイワシのマリネを美味しさを確認するように味わいながら、カウンター席の隣に座る彼女の浮かない表情を窺い見る。私は一応彼女の指導社員ということになっていて、今日彼女は仕事上の些細なミスで少し過剰…

解る

私が社会人になったばかりの頃、姪はよくうちに泊まりに来ていた。彼女は当時女子高生で、若さと可愛らしさと才気を自覚していて、その使い分けがうまくて、人を小馬鹿にしたような態度なのに愛くるしくて、つまり私はすっかり魅了されていた。 彼女とは、大…

拗ねる

「それって、褒めてるつもりですか」 普段あまり見せることのない彼の強い口調に驚いて、私は何か変なことを言ったかしらと反芻してみる。彼の後輩への対応を評価しただけのつもりだけど。「『優しい』と評されるたびに、『弱い』と言われてるように感じます…

惚気る

「真面目な人なのよ。律儀過ぎるっていうか」 夫が会社を休養することになった友人は、特に落ち込んでいる様子もなくそう言った。まだ肌寒さが残る季節、テラス席を選んで座った私たちを午後の陽射しが柔らかく包み込む。 私は、本心からではあるが、発した…

悖る

私の友達はもう1年半くらい、妻のある男性との交際を続けている。私はそれについて何かを言う立場にはないし、言いたいことも特にないが、彼女から意見を求められれば誠意をもって答えようとは思う。 でも、相手の男性には家庭を手放す気はなく、それを独身…

逸れる

なんで会社を辞めたのと訊くと、彼は「理由はいっぱいありすぎて…」と困った顔をするが、自分の中にある誠実さを引っ張り出してくるようにして、ゆっくりと説明し始めた。「まず、人を有能/無能と評価する風習に最後まで慣れることができませんでした。自分…

詩へ

まず必要なのは手順を理解することだ。 手順を覚えるのではない。その意味を過不足なく把握することこそが重要となる。 なぜこの香味野菜を均質な大きさに切り分ける必要があるのか。 それは次の手順においての熱による変性がなるべく同時期に起こるようにす…

僕の発心

今回村にやってきた偉いお坊さんは、この前の人とはまったく違うことを説く人だった。 大人はみんなそんなことは気にしていないみたいだ。ていうか、今までこの村にやってきたお坊さんたちの話を長い間ずっと覚えてるのは、僕くらいのものなのかもしれない。…

その都市を啓蒙思想家が訪れたのは、年末という来たるべき最大の消費シーズンに向け、誰もがどこかしら浮かれながら日々を過ごしていた頃だった。 思想家はSNSで発信する。「みなさまの蒙を啓くために、私はこの素晴らしい都市を訪問させていただきました。…

町を贖宥修道士が訪れたのは、来たるべき雪の季節に向け、誰もが口数少なく準備を始めていた頃だった。 修道士は言う。「罪ある者を赦すため、私は訪れた。この町で罪ある者は名乗り出よ」 住人200に満たない小さな町で、その修道士の言葉はたちまち皆の…